ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

幻の東京オリンピック 1940年大会 招致から返上まで

 

幻の東京オリンピック 1940年大会 招致から返上まで (講談社学術文庫)

幻の東京オリンピック 1940年大会 招致から返上まで (講談社学術文庫)

 

ということで最近連戦の東京オリンピックシリーズ。

色々興味を持った理由はあるんだけど一番デカいのはロゴ問題で、1940のオリンピックロゴの富士山のアレが「これでいいじゃん」とか取り上げられたのが最高に気に食わなかったのだ。だって富士山ってあれ「日本一」な国家の誇りを誇示するマークでしょ? 1964の日の丸の普遍的な太陽信仰とか戦後の復興とかに比べたらキッツいなあと思うわけで、んじゃあそのころのオリンピックってどうやって捉えられてたのかが知りたかった。あと、普通に大正から戦前にかけての時代って面白そうだけどよくわかんねーよなーという感覚があったから、というのもある。

でまあ読んだんだけど、いやー、しんどいですねこれ。折衝折衝折衝の話。オリンピックがいかに政治的であったかとか、いかに貴族主義的であったかとか、そこら辺の予備知識があるだけに余計にしんどい。枢軸国側の駆け引きが多分にあった上ではあるけれども、極東の島国がよくもまあヨーロッパの歴々と渡り歩いて日本にオリンピックをもってこれたもんだという驚きは普通にデカい。ってかこういう日本人が行った海外との折衝の評価をみると、逆に今の日本の外交の意味の伝わってこなさにビックリするよなあ。そーか外交ってやっぱり重要だったのだなーという感じ。あとは予想通り国際主義と国家主義の狭間でオリンピックが翻弄される話でもあって、するとあのロゴの象徴性はやっぱり大変納得がいくのだった。

しかしなあ、単なる「祭り」となってしまうことを警戒する描写とか、国際社会への信義を果たすために何が何でも成功させなければならないとか、今も身につまされる描写が多すぎてなあ……