ふへーすげーなー。スピルバーグこんなことにも挑戦してたんだなあ、という感じ。
中盤までは馬を中心に物語が進んでいくわけだけれども、個別のエピソードに深い関連性はなく、それぞれのシークエンスを一頭の馬が繋いでいくアンソロジーという感じ。普通に良く撮れていて別に出来が悪いわけではなくて、騎兵隊の突撃は観たことない画だ! って興奮するし、風車を使った銃殺シーンは最高に決まってるし、丘のフレームだけを使って引き込む手管とかはさすがだなーと感心するし、まあそんなこんなで興味を切らさずに見ていられる一方で、うーんとりとめもない話だなあという感覚は拭いきれないよね。あるいは序盤が良くできすぎていたのかなあ。父親の危なっかしさや地主との対立関係の描写はそつないし、物語全体を支えるテーマをきちんと浮き立たせる母親の芝居はさすが。なによりあんな短い時間でよくもまあアヒルをあそこまで上手く見せるもんだなあと感動してしまった。動物ものだから馬にどう感情移入させていくかはすげー重要なのはわかってたけど、まさかアヒルがあんなに愛おしく思えるなんてなあ。
そんなこんなでイマイチ乗り切れずにやってきた後半、「奇跡の馬」という肩書きかついてからの展開が大変面白いよなあ。「奇跡」をテーマに扱うと、普通はその奇跡がいかにして成立するかというところに注力しちゃいそうなものだけど、この作品は「奇跡」を馬のとんでもない爆走一発で説得しちゃって、なぜ偶然同じ場所にふたりが行き着いたか、みたいなところはまったく補強しない。奇跡は奇跡だから奇跡だし奇跡の馬がいれば成立する! すげー。それだけで終わってしまったらただの都合のいい話で終わるところを、この映画はむしろ「奇跡が起こったとき周囲がどのように行動するか」の方に力点を置いていて、それが大変感動的なのだった。第1次世界大戦の塹壕戦で、人間性をすり減らされていった兵士達が、奇跡の馬という物語をどれだけ渇望していたかが逆に示されちゃう感じ。そうだよねえ物語は人間性を回復させる手段なのだよねえ。でまあ、そういう奇跡の物語がめぐり巡って父親に戻るラストは、父親の誇りの回復を暗示させていて、その中心には彼が購入した馬があるわけで、いやーほんと素晴らしいよなあ。良くできた文芸。
あとどうでもいいけどワイドな画角でスペクタクルな戦場をフォローショット? じゃないけど前後に移動するカメラがすげースピルバーグっぽくて笑った。広い画角で移動して、半分をキーマンの横顔が締めたところでスッと止まる。今までもそんな意識してたワケじゃないし他の監督だって普通に使ってるんだろうけど、なんか特別スピルバーグ感を認知してしまった。