『デューン砂の惑星』っていわゆる駄作として名前は聞いたことあるわけですよ。デヴィッド・リンチだってなんだかんだ観てるわけですしね。ただまあ、そんな駄作駄作いわれている作品を積極的に見に行くかと言われると観ないし、かといって原作の小説も触れる機会なかったしで、どんな作品化はサッパリ知らなかったワケです。
でまあ、ほとんどまっさらな状態で『ホドロフスキーのDUNE』を見に行ったんですが、あー、これはすげー。っていうかもうスタッフの段階でお腹いっぱいでしょこれ。メビウスがコンテ描いてるってもうその時点で大勝利なのに、そこにギーガやってきてピンク・フロイドがいてダリがいてオーソン・ウェルズがいてミック・ジャガーがいるわけでしょ? もう意味不明。なんなのこれ? 仲間集めのパートだけでもう映画できるじゃんマジで! あの分厚いコンテ本マジで欲しすぎるだろ……
そこら辺の上昇パートを経て映画は後半の「なぜ作品が作られなかったか」という所にさしかかるわけですが、うん、そりゃさすがにしょーがないよなー。ハリウッドの作品作りを批判しているけれども、ハリウッド以外で希望する映画が作れないんだったら、それは映画システムそのものの限界を露呈しているだけだよなあ。作家主義を貫く『プレイタイム』確かにすげー作品だと思ったけど、でもあの作品作りが許容されるのは奇跡で、アレがシステムで排出できないことを責めるのは微妙な感じがすげーする。
しかしなあ、このコンテ、今のCGならワリと現実的に作品化できるんじゃねーかなー、とか思ってたらドゥニ・ヴィルヌーヴが「デューン 砂の惑星」のリメイクですか。いやはやそれは期待してしまいますね……