ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

老いる家 崩れる街 住宅過剰社会の末路

 

老いる家 崩れる街 住宅過剰社会の末路 (講談社現代新書)

老いる家 崩れる街 住宅過剰社会の末路 (講談社現代新書)

 

改めて考えてみると、コンクリートの建築が町を覆ったのはつい最近で、将来的に老朽化してゆくその町をどうやって持続させていくか、そのノウハウがあんまりないってのはまあ当然だろうなあと思う。先んじてインフラにガタがきたのがアメリカ、ってのがなるほどなーって感じ。ただ、アメリカって地図で見ると新天地をゼロから切り拓いた文化だから、地図を見ると強く都市計画を感じるわけで、そこら辺の意識は日本よりもずっと高かったりするんではなかろうか。サンフランシスコの凄まじい坂を見る度に、いやーそこまでしないでも、と思うもんなあ。

で日本はと言うと、『シン・ゴジラ』でも言ってたけど、スクラップアンドビルドで成り立ってきた国なワケで、例えばひとつの象徴の伊勢神宮だって「式年遷宮」で建て替えをするわけだ。江戸東京は大火やら地震やら空襲やらでスクラップを余儀なくされ、しかしだからこそその度に新陳代謝できた。まーその中にオリンピックも含めるべきなんだろうね。地震がなく紀元前の街並みさえ今に残っているヨーロッパ諸国とは、そもそも都市計画の意識の根っこが大きく異なるのは当然で、するとそんな長期的展望を持たないアメーバ状の都市計画になってしまうのかなあ。

とかそこら辺のことを考えながらこの本を読むと、「日本にゴジラ攻め込むしか方法はないんじゃね?」とは正直思う。だって戦後の日本の歴史をボーッと眺めてて、「我々はどうやって老いて行くか」みたいな長期を見据えた問題が真剣に考えられてるように思えないもん。失われた十年? 二十年? それって失われたわけじゃなく、社会が成熟しきってオイへの準備段階に入っただけじゃないのかしら。問題先送りでこんな状況になっている住宅事情の問題は、まあそんな日本の象徴だよね。

既得権益イノベーションを阻害するのは世界史を振り返れば良くある現象で、局所的な利益を強制的に引きはがす力が働かなければ、国は老いて崩れるいかないんだろーなー、と暗澹たる気持ちになる本でありました。