ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

インサイド・ヘッド

脚本が頭良すぎる。
カールじいさんの空飛ぶ家』の地上と家の両面作戦での作劇は、アクションとしてのアイディアは非常に良かったのだけれども、そもそもなぜ「家が飛ばなければならなかったのか」という文芸上の意図に答えを出すことができないまま、クライマックスでその役割を放棄していた。
ところが翻って『インサイド・ヘッド』のアウトサイド・インサイドでの両面作戦は、まるでその反面教師に応えるかのような文芸上の「正しさ」を見せる。価値観が一変する思春期手前のその時期に、脳内の出来事を擬人化させて演じられる寓話。かつての思い出を振り捨てて、あるいは再解釈して、新たな価値観を手に入れるその物語はもうキャラクターが配置されたその瞬間から絶対的に正しい道のりを辿り、唯一気になったのは「かなしみ」への再評価が為されるその瞬間、「よろこび」からの直接的な接触がなかったことくらいで、後はまあ「うんそうなるよね正しいよねくそう!」と叫ぶばかり。しかも「擬人化された抽象劇」にアクションを担保させ映画としてのダイナミズムを担保しつつ、外部での人間ドラマはリーマンショック辺りを暗に含ませつつ両親へ過剰なほどの目配せが為されていて、序盤・中盤・終盤と隙のない脚本に、でもおいら負けまくりだよ! ほんと、ピクサーのSTORYへの妥協しなさは、クレジットにそのままそっくり現れてるよなあ……
カールじいさんのオープニング力がふんだんに発揮された本作品、私、もう終始ボロ泣きでした。完敗。