ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

いとしのヒナゴン(上)(下)

 

いとしのヒナゴン(上) (文春文庫)

いとしのヒナゴン(上) (文春文庫)

 

  

いとしのヒナゴン(下) (文春文庫)

いとしのヒナゴン(下) (文春文庫)

 

 

映画「ヒナゴン」があまりにピンと来なかったもんでこの原因はいったい何だろなーと思って原作小説にまで立ち戻ってみたのだけど、いやあ、コレはちょっと厳しい読書体験だった。自分は多分重松清を初めて読むと思うんだけど、こっから入るのは不幸だったかもしれないなーと。

いやさ、なんと言っても語り口だよ。さすがにこの「若い女性の一人称」はキツいって。いくらそういうキャラクターといえども、容易に他人を馬鹿にしたり軽視したりする文章を読み続けるのは苦痛で、もうその時点で方法を間違ってるんじゃないかなあ。これ、普通の人なんともなしに読めるのかしら? オレは無理。

映画のプロットも全体的にまとまりがないなあとは思っていたけど、原作小説を改変しつつなんとか2時間尺で纏めようとしてたんだなあというのがよくわかった。いや、こうやって見ると映画は結構良い仕事したんじゃないかなあ。原作でかなり印象の薄かったヒナゴンのキャラクターをしつこく描いたり、中盤で余り意味を為さない対立候補を落としたり。

そもそもこういう話なんだから、都会から田舎に帰った視点者がヒナゴンを追いかけて真相を探る、という大きな題目を起きつつ、徐々に田舎の陰湿さに気付かされていく、みたいなのが普通のプロットだと思うんだけど、そういう田舎のあれやこれやもヒナゴンの情報も一気にオープンになっちゃって、物語の興味を引く大きな筋がないんだよなあ。

過疎の町を舞台にするってのはとても大事なことだと思うんだけど、ラストの説得もなんだかよくわからないうちに逆転するのは映画と変わらず、やっぱりもうちょっとテーマの精査が必要だったのではないかなあ、と感じました。