ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

キャプテン・フィリップス

 

 

地味な映画なのがラストであんなに効いてくるとは思わなかった。事実を元にした映画がどれだけエンタメフィクションと綱引きするかというのはひとつこういう映画のポイントだと思うけれども、本作品がわかりやすいエンタメには全然仕上げようとしないのは船に海賊が乗り込んで追い出されるまでのシークエンスで明らかで、だからこそ生まれる切実さというのがあるのだなーと思い知らされる。例えばこういう撮り方じゃなければ敵リーダーの呆気ない捕縛は納得できなかっただろうなー、とか。

もちろん海賊とのあーだこーだがグローバルな資本主義経済と発展から取り残されたソマリアのギャップを描いている以上、悪者をやっつけてハッピーエンド! というワケにするとずいぶん微妙なことになるのは当然っちゃ当然なんだけど、ラストシーンを家族との再会なんかに設定せず、ただ恐怖から抜けきれず呆然とする主人公に設定したのは英断だよなあ。例えば『ブラック・ダイヤモンド』のディカプリオが殉職してケジメをつけるいかにもわかりやすい物語的なラストとは、明らかに響きが違う。

「漁師が人を誘拐しなくても他に道はあるだろ?」

「アメリカならな」

のやり取りが、大変強く印象に残った。