ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

アメリカン・スナイパー

冒頭で示される「家族を守るための鹿狩り」と「教会への祈り」はアメリカという国家の根本を象徴していて、それはそれぞれ現代中東での「仲間を守るための戦い」と「愛国主義」を示す。
この映画は「仲間を守るために銃をとること」を否定していないのではないか。問題は、911の映像などの強力なメディアにより、「家族を守る」という個人の問題が、「国家を守る」という問題に敷衍されたところにある。帰国後の主人公は両者の分断に苦悩する(戦場は消えたテレビの向こうにある!)が、最終的に国家という大きな物語に背を向けて、個人の物語を肯定するという切り分けで、平穏を取り戻す。だからこそ彼は、息子に鹿撃ちを教え、またかつての仲間のリハビリに向き合うことができるのである。
あの大量の国旗が「伝説の男」という大きな物語に主人公を引き戻すあのラストは、だからこそ、とんでもない恐ろしさに満ちている。

かつてハリウッドスターだったイーストウッドは、物語の持つ危険性を知るからこそ、あのいかにもリアリティのない、ハリウッドじみた手法で伝説の男を描いてみせたのだと思う。