- 作者: 三三珂,碧風羽
- 出版社/メーカー: 学習研究社
- 発売日: 2011/03/29
- メディア: 文庫
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才能がなくて体格もない僕が、遥か遠くの目標目指して少しずつ少しずつ努力して、自分の前に立ちふさがる強敵を倒していく――なんてオールドスタイルの物語が、今の時代には全くそぐわなくて、ラノベ界で圧倒的なマイノリティになってるってのを否定する気は、オレだってさらさらない。
何も能力のない主人公がその優しさでヒロインに接すると彼女の能力が花開いちゃったり、ミステリアスな主人公が読者にも思いつかないような方法で頭脳戦を制したり、そもそも学園ハーレム生活には対立の要素が欠如していたり、まあそういう泥臭い努力の要素を廃したラノベが一大勢力になっている。そりゃまあどう控えめに見積もっても事実だ。
じゃあなんで今、重いコンダラでウサギ跳びする的なオールドスタイルが流行らなくなっちまったんだ? って考えるに、それはきっとみんな「明るい都会じゃ巨人の星なんてリアルに見えるわけねーだろ」ってことを知っちゃったからなんじゃないかなーとオレは思う。当たり前だけど、巨人の星はフィクションだ。
いじめられっ子が格闘技を覚えるのはいじめっ子に復讐するからで、俺たちはそのいじめられっ子に感情移入して成長物語を疑似体験するけれど、結局それって疑似体験にしか過ぎないのになんでマジになってんの? どーせフィクションはフィクションなんだから、だったらフィクションと割り切って、感情移入さえ廃しちゃって、ただかわいいおにゃのことにゃんにゃんブヒブヒすりゃそれでオッケーじゃね? そっちの方が売れるんじゃね?
って言われりゃいやまあ確かにそりゃそーだ。
俺たちの読んでる物語はフィクションだよ。
そりゃオレだって知ってるよ。
でもさ。
本気でフィクションを信じちゃいけねーのか?
「成金」におけるオールドスタイルのフィクションってのは、詰まるところ「プロレス」だ。主人公は体格が劣っていて、才能にも恵まれていないが、その古い古い価値観が最強だって信じていて、だから死ぬほど努力する。相手の攻撃を何度も受けて、受けて、倒れて、倒れて、それでも根性で起き上がる。ただ、勝つために戦ってるんじゃない。相手の力を引き出して、受けきって、相手を輝かせながら、それでも自分はさらにそれより目映い輝きを放つ――それが、この主人公のやり方だ。
大晦日のリング、その古いプロレスで総合格闘家に挑む主人公の姿は、だからきっとこの物語自身の象徴でもある。萌えラブコメが跋扈するライトノベルに、たったひとり努力と根性で勝負を挑む時代錯誤のガチムチドン・キホーテ。彼の傍らに、まっとうな萌え萌えヒロインなんてひとりもおらず、いるのは強敵見つける度に涎をじゅるじゅる流す変態天才美少女格闘家だけ。でもこの物語はそれでいいのだ。
主人公は愚直なまでに「プロレス」を信じ、それと同時に「成長物語」を信じていて、だからこそ、どんな逆風が吹き付ける中でも前へ前へと進んでいける。それらは確かにフィクションだけど、そのフィクションを信じているなら、彼はどんな敵だって倒すことが出来る。そして俺たちは、それがフィクションだと知っていても、そのフィクションを信じたいと願う。信じているからこそ、到達できる場所があることを、知っている。
だってロッキーは、現実を変えただろ?
だからオレは、詰まらない絵空事だって、変にオトナぶって嘯くことはしたくない。そのフィクションを信じたい。信じることは、ちゃんと、現実にも影響を及ぼすってことを、もう少し多くの人に知ってもらって、こういう馬鹿げたフィクションを本気で書く人が、もう少し多くなるようになって欲しい。ただの個人的な願望かもしれないけど、オレは、心からそう思う。