ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

魔法の材料ございます ドーク魔法材店三代目仕入れ苦労譚

僕の考えた『魔法の材料ございます ドーク魔法材店三代目仕入れ苦労譚』!


この作品は「過去に相棒を失いトラウマを負った主人公が、新たな少女との冒険により、その記憶を乗り越える」話である。


主人公(魔法使い)は類い希なる能力を持つが、しかし過去のトラウマからその能力を発揮できず、隠居状態にある。挫折の経験から老成した世界観を持っている。
そんな主人公を再び戦場に駆り出す役割を受け持つヒロイン(姫様)は、老成した主人公に対するカウンターとしての造詣が望まれる。若く、世間知らずで理想に燃えているという意味で、城を抜け出した姫様という立ち位置は非常に正しい。
ただし作中の表面上の動機だけでは、ヒロインが主人公の人生を変えるきっかけになる説得力が乏しいように思える。恐らく姫様の向こう見ずな行動に、失ってしまった相棒の面影を(無自覚でよいので)かぶらせれば、ヒロインの行動を制止しきれない(自らの若い頃の理想を否定できない)ことにも説得力が生まれたのではないだろうか。


さて、作中で主人公が過去のトラウマを乗り越えるための試練としておかれているのが、「ドラゴン殺し」である。
本来ならばドラゴン殺しは成長の最終ステップとして描かれるべきなのだろうが、本作品における主人公はすでに最強の能力を備えており、試練の焦点は「いかにして過去のトラウマを乗り越えるか」「かつて救えなかった少女を救うか」にあてられる。
現状、この作品での過去のトラウマの乗り越え方には説得力がない。主人公の内省だけで「生きる!」と思い直しトラウマを乗り越えるのは、あまりにもおざなりだ。
ここでは現在と過去の相棒の姿が二重写しにされているのだから、「なぜ過去に相棒を失ったのか」をもっと明確な形で示し、主人公がそこから成長した形で行動を起こさなければならない。最終的に「ドラゴンを殺さないこと」が正解となるのならば、逆算して過去の過ちを「ドラゴンを殺そうとしたこと」に求めるのがスマートだろう。

ただし、ここでただ「ドラゴンを無意味に殺すのは良くない!」と説得して、ヒロインがそれに納得してしまう展開は避けたい。なぜなら「理想に燃えて」「ドラゴンを殺すことを正義と信じていた」ヒロインは、過去の相棒であり、同時に彼女と理想をともにした過去の自分の姿であるのだから。主人公の説得は、ヒロインの掲げる「理想」へのカウンターとして、言葉の上だけではない説得力を持っていなければならない。そしてその説得力は、主人公が旅の途中でヒロインにすでに示してあることが望ましい。「ドラゴンを殺さないこと」の正当性を、過去の相棒には示せなかったが、年を経て今旅をともにするヒロインには示すことができた、という構造が理想だろう。
たとえば、陳腐ではあるがひとつのアイディアとして、「ドラゴンが子供を守ろうとしている」という説明をおいておくのはどうだろうか。そこから逆算して、それまでの旅に「子供を育てることの苦労を、主人公からヒロインが教えられるエピソード」を入れれば、ドラゴンを殺さないという作品全体の回答にも一本筋が通る。


さてさらに翻って、この作品にはもう一人、サブヒロインとでも呼ぶべきキャラクターが存在する。彼女は主人公がトラウマにさいなまれて隠居状態にあったとき、彼の世話を続けてきた使用人である。とすれば彼女は、かつて非日常に生きた主人公が、日常で得たものの象徴であるべきだろう。
主人公が旅で、かつては気づけなかった「子供を育てることの苦労」をヒロインに教えることができたのは、日常の象徴であるサブヒロインとともに時を過ごしたから――なんて下ごしらえをしておいて、旅の途中で主人公がそれに気づく展開にしていけば、下手な複数視点の構造をとらなくとも、主人公と使用人の再会はきちんと味わい深いものになったと思うのだが、どうだろう?


以下雑感
・メインヒロインが姫様の方かと思ったら、使用人の方なのか。ブックカバーを開いて初めて気づく。ってことは1巻完結のゲストヒロインでありいわゆる禁書目録状態になるのだろうか。でも現状使用人が主人公に対して持つ意味合いが薄い、というか姫様の方の意味合いが強すぎるので、やっぱり変えた方がいいんじゃないかなあ、とは思う。あと時流的にも。
・酒浸りの夫を懲らしめるエピソードは残念なデキ。原因が妻の死を受け止められないことにあり、酒浸りになっているのは結果でしかないのは明白。酒を止めたところで、やりどころのない悲しみが「母に面影が似てきた」子供に向いたりするのが目に浮かぶよう……ってのは言い過ぎか。「死を受け止められない」という自分との共通点が主人公をいらだたせたことにするだけでもエピソードの持つ意味合いが全く違うはず。たとえば、まずヒロインに力尽くで父親の行動を改めさせようとして失敗、次に主人公が父親の自暴自棄の原因を見据えて説得・成功――って流れにすると全然印象が違う。上の「子供を育てる云々」を踏まえて、主人公が使用人からの受け売りで娘を育てることの大変さを説き、それによって父親が改心しようとする……とかね。
スフィンクスの襲撃はドラゴンとの戦闘のかませなんだから、スフィンクスでびびったヒロインがドラゴン戦で無条件に勇敢に戦うのはちょっと違うなあ。ただ、「スフィンクス戦でびびったヒロインだけど、『理想』のかかったドラゴン戦では奮起して戦うことができる」という描き方をするとまた意味合いが違ってくる。たぶん「ドラゴンへの恐怖」よりも「理想」を強く描くことで、ヒロインの強い意志を立てることができるはず。