ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん―幸せの背景は不幸

うーむ。なんだかわからん。
と思って一度アタマを整理してもう一度考えたがやっぱりよくわからなかったので、じゃあなんで良くわかんなかったのかをずっと考えていたら、あーもしかしてこのよくわからないところは作者の意図通りなのか。


物語に困難があり、それに対してまっとうなカタルシスが求められる場合、主人公は「成長」を余儀なくされる。世の中の大部分の物語は主人公の変化を描いており、それは物語の最も根本的な作用のひとつなのかもしれない。

だが、主人公が嘘ばかりつき、ヒロインは壊れているこの小説で、まっとうな「成長」が描けるのか?
この舞台装置の中で、説得力のある成長は可能なのか?


もう一度冷静になって振り返ってみると、この小説の中で主人公は明らかに「成長」している。
っていうか成長しているどころじゃない。「他人を囮にしようとした」主人公が、「他人を助けるために自らの命を危険にさらす」なんて、まともな主人公みたいな成長をしちゃっているのである。

だが、そのまともな成長は、まったくまともに語られていない。

普通の小説において、主人公の成長は感情移入された中で行われる。物語を疑似体験することで、読者は主人公の成長の瞬間にカタルシスを得る。
ところがどっこい、この小説において成長の瞬間は語られない。主人公が成長したはずのその瞬間を読者は共有できず、従って回想の形式で語られる主人公の成長も他人事のようにしか感じられないのである。


たぶんそれは意図したもので、この小説が語ろうとする成長は、きっとそういうものなのだろう。
壊れてしまったヒロインが、我々読者の考える「成長」を迎えることができるのか?
むむむ。なんか面白そうだ。続きは読むかわかんないけど。
ってか全部嘘かもだけど。


以下雑感。
西尾維新? それがどうした。
・地の文素敵。
・会話がセンスあふれすぎて参る。適度な行間。
・大ネタがと決まるのは気持ちいいはずなのだが、なんか遅れてきた。
・感情移入と意図的に距離をとっている。それが活きていると判断。