ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

刹那のイグザルト1 かしずきたちの教室

刹那のイグザルト1  かしずきたちの教室 (富士見ファンタジア文庫)

刹那のイグザルト1 かしずきたちの教室 (富士見ファンタジア文庫)

なんか小難しい造語がたくさん出てきて人も多くてバックグラウンドもまだわかんなくて肝心の謎は全然解けてなくて、というややこしい見かけをしているが、一巻の話のアタマとケツをじーっと見比べてみると、要するにこの一冊を使って達成されたのは「主人公が笑えるようになったこと」この一点に尽きる。
これだけ色んな要素をぶち込んで、主人公が笑えるようになるまでを描く。
うん。
いいじゃないの。


と納得しそうになるけどちょっと待て。
なんで主人公はあのタイミングで笑えるようになったんだ?
なんかちょっとおかしくないか?
あの幼女、この小説でそんなに重要なポイントとして機能していたか?


そもそも、主人公はなぜ笑えなくなったのだろう?


過去に大切なかしづきを失ったから?
ならば、主人公が笑えるようになるタイミングは、あらたなかしづきの命を救うことができた、その瞬間の方が美しい。
だが一度かしづきを救えたからといって、敵を殲滅したわけではないのだから、主人公が真の意味で笑えるようになるはずがない。


では、「独断戦巧」という業を背負った自分が、戦友の助力やクラスメイトからのメールを見ることで、繋がりでひとりでないことを知らされたから?
ならば、主人公が笑えるようになるタイミングは、クラスメイトからのメールを見たタイミングが良い。
だがもしそれを描こうとするのならば、命を省みず戦うクラスメイトの仲間をもっと印象的に描かなければならないだろう。ただのメールで解消される主人公の業に意味はない。


幼女が主人公の頬を引っ張ることに、何か物語り上の意味はあるのか?
「笑えない主人公が笑えるようになる」という一巻の大きなテーマを、もしかしたら何となく雰囲気で消化してはいないだろうか?
単純に自分が象徴する部分を読み逃しただけ?


1巻のボスが、恐らくかつての敵よりも強いわけではないという条件がある以上、主人公の笑顔の理由は「内面の成長」に求められるべきだ。
委員長とクラスメイトのやりとりや、主人公の背負う業からは、この作品の根底には例の「大勢を助けるために個を犠牲にできるか否か?」というテーマが流れている。
たとえば、3年前の悲劇で「それでも個を救いたい!」という主人公の信念が揺らいでいたとしたらどうだろう? アイデンティティを喪失することで、主人公はかつての力を失っていた。
ところがクラスメイトや新たなかしづきから背中を押されることで、「それでも個を救いたい!」という自分の信念が正しいと確信すること――それが、かつての力を取り戻し、新たな必殺技を発動するためのキーとなっていたら?


以下雑感。
・このシリーズ全体は、恐らく「失われた2分」という空白点を中心に話が進んでいくように創られていて、非常に魅力的なフック。
・かしづきの恋愛を人間同士の関係に持っていくことに障害があったほうがいい。なし崩し的に相思相愛になるより、かしづきが自分の人間らしい心に気づき戸惑う過程が必要。
・造語は、まあ、そういうものだしね。
・戦闘描写が抽象的すぎてわかりづらい。共通のイメージを喚起する描写が少なすぎる。「虚」はただの「虚」で、それ以上のイメージを喚起しづらい。強弱やバリエーションの難しい属性。
・これからインフレしていくストーリーの中、共通のバックグラウンドを使わずに、敵組織の巨大さや威厳を描くのはかなり大変な気がする。「教皇庁」なんて権威を示す共通の尺度を使えない以上、字面だけの権威で終わる危険が常につきまとう。