今読むと読み方が違って面白い。
「ピッコロ大魔王」で一気に作品の世界観が違ってしまっているのが面白い。タオパイパイ戦でドラゴンボールが「死者を蘇らせる」役割を負った当然の帰結なのかもしれないが、以降は強い敵ほど多くの無実の市民を殺すことになる。
恐らくそれは作者の望むところでは無かったはずで、ナメック星での二種類のドラゴンボールの下りはあまりにトリッキーだし、最終巻辺りでは「ドラゴンボールなんて反則」みたいな話をキャラクターに代弁させていたりもする。しかしこのドラゴンボールで黄泉がえりのシステムが、このマンガのインフレを可能にしたのだから、やはりタイトルになるだけの必然性が最初からあったのだなあ、と思う。
一方それと対照的なのは「天下一武道会」で、無論この舞台装置はバトルマンガとしてのドラゴンボールの成功の一因だったのだろう。しかしストーリーが進むにつれて、急激にインフレする登場人物の力に対して、ルールに縛られ一定の舞台を用意するこの装置は無力となってしまった。各登場人物の能力の表現が、あの狭いフィールドを超えてしまったのだろう。
後半でも何度か、古き良きドラゴンボールの再現として天下一武道会が試みられるが、しかし成功を迎えることなく終わるのは必然だ。だが故に、最終回が天下一武道会だったのは一層意義深い。
何より驚いたのは、悪の最終形態が「魔神ブウ」だったことだ。あれだけのインフレーションを積み重ねながら、最終的に行き着いた悪によって犬のエピソードが語られたとき、自分はちょっとブッたまげてしまった。世界征服・宇宙征服を行き過ぎ、セル編では最早悪のモチーフ自体が困難になっているのだなあ、とは思っていたのだが、まさかあそこに戻ってくるとは。作家性とはああいう所に現れるのだろう、とつくづく感じた。
ドラゴンボール
ドラゴンボール 完全版 (1) ジャンプコミックス
posted with amazlet on 08.01.02