ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

DOGLEGS

 

DOGLEGS [DVD]

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  • サンボ慎太郎
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vimeo で観れたので。最近ミゼットプロレスのデマがあーだこーだ言われているのをみる機会が増えたので、果たしてどうなのかなーと思ってそこら辺のドキュメンタリーを見たかったんだけれども、そういうものがあんまりネット上になくて、うーんどうしようと思ったらこの映画があった。ミゼットプロレスというよりは障害者プロレスだけれども……

しかしプロレスって一体何なんだろうなあ、というのを考えてしまう。格闘技をするのはまあわかる。それで試合で、結果的に人前に出るのも良い。でもこれはプロレスだ。お客さんがいないと成立しない興行なんだ。なんでわざわざ人前に出て、しかもボコボコに殴られる姿を、見せようとするんだろう。これは一体何なんだろう。

SM……というわかりやすい見立て提示されるけれども、うーん、それは果たして本当なのだろうか? もちろんリングの上の二人には愛憎が渦巻いているのはわかる。けれども、それを見ている観客は、どんな気持ちでそのSMショーに向き合っているって風には思えない。興奮しているわけでは、多分ないんじゃないかなあ。少なくともオレは、「これはなんなんだ?」と困惑しながら、映像と向き合わされていた。

でももしかしたら、その困惑こそが魅力なのかもしれないなあ……プロレスというショーアップされたエンターテインメントの見世物の形式を借りて、わかりやすいエンターテインメントとはかけ離れた、障害者たちの人生が展開される……俺たちはプロレス/ドキュメンタリー映画という形式で彼らの人生を消費しようとするが、しかし彼らの生き方そのものがそれを否定する……みたいな。オレは全然飲み込めず、消化できず、今もまだ喉に骨が刺さったままって感じである。

 

 

激動の昭和史 沖縄決戦

 

岡本喜八だー。なるほどねー、「日本のいちばん長い日」の後にこういう映画撮ってたわけかー。っていうか「激動の昭和史」ってシリーズで色々撮ってたのね。全然知らなかった。

「あっ、これ『失敗の本質』でやったところだ!」みたいな感じで沖縄防衛の準備が進んでいて良い。台湾で「一言を発しない」って宣言とかも「あーはいはいこれね」って感じ。でも映画だとさすがにこれがどんな影響を及ぼしたのかちょっとわかりづらいよなー。

テンポ良くポンポン進んでいくのは岡本喜八って感じでいかにもらしいなーって感じだし、バカバカ爆発が起こってバカバカ人が死んでいくのもこの監督らしい……のだけれども、今回は下敷きが沖縄ということもあってだいぶ感触が違うというか……いやまあ兵士は相変わらず勢いよくドコドコ死んでいくんだけれども、民間人の死はきっちり描いているんだよなあ……いやあ……こういう途中に取材した手記の読み上げが入る形式、こんなにしんどいのもなかなかないよなー。

あとはなんといっても仲代達矢の存在感がすげー。丹波哲郎がいかにも丹波哲郎って芝居をしているだけに、それと対比されてめっちゃキャラが立ってる。あの目力ったらちょっとないですよね……

アメリカ THE MOVIE

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なんだこれ……相変わらずアメリカのこういうコメディは置いて行かれるなー。

アニメーションは全てをコントロールできるワケで、空いた隙間を片っ端からパロディで埋めているような内容で、うーん情報量が多すぎてちょっとパンクしそうだわ。アメリカにそこまで詳しくないオレでもなんだかんだ「あーこれはあのネタかな?」とわかるところがあった。とはいえやっぱりその機微とかは全然わからんから何とも言えんところがあるよなー。ジェロニモを仲間にするシーンの「ん?」みたいな感じとか、ジョージ・ワシントンが先住民との対立にどのような態度を取ったと考えられているかみたいな背景ないとちょっとわからんでしょ。あとエジソンが中国人女性なのは何で? 急にポリコレとか意識した感じってギャグのイメージなの? うーん、全然わからんなー。しかしまあ、そこら辺の危うい題材をガンガン用いながらよくもまあ作るわー腹が据わってんなー、というのは正直感じる。ラストの演説のしっちゃかめっちゃかっぷりもそこら辺のバランス取りなんだろうなー。

しかしまーこういう血しぶき飛んだりグロかったりすんのホントに面白いと思ってんのか……オレには全く理解できないなあ。途中、夢のシーンでクライマックスにかかるリソースをぶっちゃけてるあたりのメタネタとかは好きでした。

風をつかまえた少年

風をつかまえた少年(字幕版)

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  • キウェテル・イジョフォー
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マラウイってどこかわからんかったけど、あー、大地溝帯なのね…おぼえた。

こういう言い方はアレだけれども、「異世界転生は新大陸の発見の再演」みたいな雑なアレを思い出しちゃうよなー。自転車のダイナモなんて手段があればめちゃくちゃ簡単に手に入るわけじゃないですか。それを転用するだけで畑で野菜が耕せるなら、そんなん絶対やった方がいいわけで。それができない理由が「図書館へのアクセスが制限されているから」って、いやーなんというかその、すごいな……アフリカのドキュメンタリーを見ていると、「子供を学校にやること」の尊さが説かれてたりするわけで、それがここまでわかりやすく表現されるとビックリされてしまうよな。

わかりやすい……という話で言うと、ショッキングだったのは「泥棒」の話。食い物がない! 盗む! 盗まれた! 絶望! というのがあんなにプリミティブに襲ってくるとは思わなかった。いやなんというか、自分たちの生活は社会に守られているんだなーというのを、あんだけわかりやすく提示されるとは思わなかった。民主主義社会になって演説してタコなぐりとか、食料を購入したらしたで奪い去られそうで危険とか、いやーホントに社会が直接的なんだよなー。

父親に風車のプロトタイプを見せるシーンとか、やっぱり母親が理解者となって流れを変えるシーンとか、人間ドラマとしても、ベタではありながらも色々見所があって良かったです。

プラットフォーム

 

ワンシチュエーションスリラーって言うんですかね? こういうのって「このシンプルな状況でどういう物語の展開が有り得るんだ?」というドキドキが物語を追いかける動機だったりすることが結構あると思うんですけれど、そういう意味では全然そういった展開をしていくニュアンスが思った以上に薄くて、うーんちょっとそこら辺は期待外れだったかなーと思います。犬が思った以上に呆気なく食われたり、「熱くなるか寒くなるか」みたいなギミックも全然生きなかったり、そういうテクニカルなところでもっと色々生かせるアイディアはなかったのかなー。あと糞尿はどうしてたんだろう? この構造だと排泄物がかなり重要な役目を果たすと思うんだけど、そこら辺オミットしちゃうのは、食を中核のテーマにした作品としてどうなんだろうなあ……

あと色々メタファみたいなのはあるっぽくて、スペインだし結構キリスト教的なバックグラウンドありそうだなーと思うんだけれども、いやまあそれにしたってちょっと抽象的すぎてついていけないところがあるなーと思いました。神の話になる前に、もうちょっと社会的な部分とか人間社会を信頼しても良いんじゃない? というのは正直思う。というか神の概念が突然導入されてる感じでよくわからんのだよなあ。スペインって国の宗教との距離感とかが全然イメージできないのが問題なのかもしれないけれど……

ものすごくうるさくて、ありえないほど近い

 

ぼろなきしてもーた。うーん、オレこういう社会に馴染めない系の少年にどーしても感情移入してしまうのだなー。この年でそれってどーなのよとは思うけれどもまー本当にそう思ってしまうので仕方ない。っていうかこの監督、『リトルダンサー』のひとなのか。あー、ほんとだいぶ泣かされているな……

そもそも「不条理=愛するべき人の死を呑み込む話」というもうめっちゃ強力な骨格があるわけだけれども、それがただ個人の話ではなくて911でニューヨークという待ちの物語にしてあるあたりがまー本当に素晴らしくて、いやーほんとめちゃくちゃ冴えてるなーという感じ。町に住んでいる人間が、皆受け止められない事実をどう消化するのに戸惑っている様子が、それらに総当たりする少年の視点で語られるなんてなー。いやーほんと、この構図だけでもう参りましたって言う感じ。

母親が「全てを見守っていた」というオチは、ひとつ間違えると台無しになるやり口にも見えるけれども、結局のところ少年のトラウマの言語化というか、一種のセラピーをいかにして成功させるかという物語のつくりになっているから全然オッケーというか、むしろさらに良くなっているのもとてもすごいよなー。不条理を埋めるために愛が必要とされるみたいなめちゃくちゃシンプルなアイディアがあそこまで強烈に訴えかけてくるんだから、いやほんとよくできてる映画だなーと思いますわ。

映画大好きポンポさん

pompo-the-cinephile.com

うううううーん、きもちわるいいいいい……

いや映画としては全然きちんと作っていると思うし決して悪い映画ではないのだけれども、描きたいことのために作品の中心にポンポさんを置いたことによって、日本のアニメとハリウッドの映画のポリティカルコレクトネス的なあれやこれやがもー気になって仕方ない。

例えばアニメの冒頭ではいきなりB映画のあるあるとして、おっぱいぶるんぶるんな触手プレイが描写されていて、現実の実写映画市場の中でああいう映画がきちんと一定の量を占めていることは間違いない事実である一方で、しかしそういった性の商品化みたいなのが問題視されているのも事実なワケじゃないですか。もしこれが実写で実際のハリウッドを舞台とした出来事でプロデューサーが大人の男だったら、その描写って間違いなく「女性の性的搾取」みたいな問題を文脈的に孕んじゃうわけですよ。

でもこの作品は、そのプロデューサーの位置に「ポンポさん」という神に愛された女の子をおいてしまうことで、「そこに問題はありません」ということにしてしまう。いや、問題がないどころか、むしろ現実のハリウッドでは危険を孕んでいる描写を、日本のアニメのポリコレ基準で積極的に肯定的なお色気として利用しちゃっているわけですよね。

これはもちろん、そういった非現実的な存在を作品の核としておいたことで可能になった表現であるし、その理屈は自分もきちんと理解しています。理解しているのだけれども、「映画大好き」という題材で、明確にハリウッドをバックグラウンドに敷いた作品が、映画の文脈からそういう差別的表現に対する配慮みたいなものを抜き取って、むしろ積極的に利用してしまう、みたいなやり方は、やっぱり見ていて「本当にそれでいいのかなあ」とは思います。映画好きが『国民の創生』とかワインシュタインの問題とか、そういったものに配慮のない表現をして良いのか? と感じます。穿った味方をすると、「日本のアニメだからアリなんです」とか「ハリウッドではなくてニャリウッドだから良いんだよ!」とか思ってないのかな? と不安になってしまうのです。