ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

マ・レイニーのブラックボトム

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やっぱりこれ、戯曲原作だよね。舞台で見たらますます面白そうだなあ、と思う。ただまあ映画で見るとやっぱりちょっと物足りない感じはあって、この気まずい空間を人間として共有することがきっと大事なんだろうなあ。モキュメンタリーの形式は、きっとその空気の共有をうまく用いた表現なのかしらね。

トランペットの人の芝居には二回山場があるけれども、神の信仰というテーマは結構見聞きしているものなので、そんなに新鮮味がない。それでもここまで迫るものがあるというのは、やはりそれが現実にあった黒人への差別をしっかり裏打ちしているのが感じられるからだよなあ。なかなか開かない扉や靴が破局のきっかけになるところちとか、色々暗喩に充ちてはいるけれども、どれも黒人の置かれた状況を皮肉に表現しているわけで。で、極めつけはラストの文化盗用的なレコーディングなワケだ。視聴者としては、結構場をコーディネートしようと苦労しているあの白人視点に共感しがちだとは思うんだけれども、そこら辺も含めてなかなか捻った作品だよなあ。

しかしまあ、そういう白人の金儲けの手段として使われる楽曲のレコーディングに、吃音の青年をあてがう図式はなかなか面白い。利用され搾取される状況の中で、権利を主張して自らに誇りを持ってゆく過程を、肯定的に描くんだなあ。いやはや面白い。

ヒッチハイカーKAI: 手斧のヒーロー、その光と影

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インターネットによって人生の歯車が狂う……というのは最近良くあるモチーフではあるけれども、この人の場合は果たしてそれをどのくらいで見積もればいいのかが良くわからんな。インターネットには、単なる情報拡散装置ではなくて、人間が外部から張られたレッテルによって人生をねじ曲げられていく、という側面があって、危険なのはむしろそこという感じもする。エッセイマンガをやっている人が、どんどんマンガの方に人格が寄せられていって精神のバランスを崩して行く、みたいなヤツ。

でもこの人の場合は終始ネットの見方に影響されず、むしろ人々から注目を浴びることによって、それまで抑制されていた彼の本性が世界に知られていく、みたいな状況に陥っていってる。それはインターネットだけでなく、情報を拡散すること一般で起こりえる問題で、別にインターネット固有の属性ではないんじゃないか、みたいな感じはするよねえ。いや、もちろんネットならではの拡散の速さ、みたいなのはあるんだろうけれど。

そういう意味で、インターネット以前の社会は、情報がゆっくり伝わることが、ある種の緩衝材として機能していて、セーフティネットになっていたんだなあ、とは思う。この人も、ホームレスのヒッチハイカーとして暮らしていれば、きっとこういう事件を起こさずに済んだのかも知れないなあ。やっぱ社会は現在進行形で変化してるんだなあ。

エイリアンとの交信を追い求めて

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うーん、コレはアレか。キリンジの歌のヤツか。原題の「Aliens」はやはりそういう性的マイノリティを指ししめしたりする用法があるのだろうか。ありそうだなあ。言ってしまえばそのアイディア一発の短編、という感じではある。あるんだが、いやー、やっぱり感じ入る所はあるな。

前半の、お金を貯めて自宅を改造して、高額の機械をガンガン買いそろえて、好きな音楽を宇宙に向かって流し続ける……というのが、ゲイである彼の世界観のメタファーとなっているわけで、するとパートナーに出会えた状況っていうのは宇宙人とのコンタクトに匹敵するなにかなワケだ。そこら辺でエイリアンとの交信をやめた……というのはちょっとできすぎな感じもするけれども、まあ、ストーリーを語るって言うのはそういうことであろうなあ、とも思うし、過不足なくきちんとした話だったなあ、と思う。

幸せへのまわり道

 

あ、これ事実に基づいた物語なのね。元ネタの番組を体感で知っているかどうかで大きく感想が違ってきそうだよなあ。自分は正直知らないので、「うーん、このトム・ハンクスうさんくせぇなあ」という感じが先に出てしまった。まあもちろん、映画だから当然脚色は入っているだろうけれども、聖人じみた人間を描くってことは、まあ難しい行為だよね。まあ、その難しさを知っているからこそ、映画のラストでピアノの低音をジャーン!! と弾かせたんだろうけどね。あのシーンがあるかないかで、作品の意味が大きく変わってくるよなあ。

赦しを巡るセラピー的な話ではあるけれども、映画の中には両者の「赦し」のきっかけになる出来事がないのがなかなか面白い。既に両者の中に赦し/赦されるための状況は整っていて、それを実行に移すのは主人公の内面だけだった、というストーリーだもんなあ。すると作品は全体的にセラピーの趣を帯びてくるわけで、そういう題材を映画として表現するのは、やはり難しいもんだなあとは思わされた。

しかし「エスクァイア」って時々聞く雑誌だけれども立ち位置がよくわからんな。っていうか以前どこで目にしたんだっけ……

ゴジラ S.P<シンギュラポイント>

 

あーうんいかにもらしいなあ、という感じ。いや、円城塔の小説ってそんなに読んでないけど、見え方になるとわかりにくい所もヌルっとスルーして面白部分に意識が集中できてとても良いなあと思いました。ってかこんなにちゃんとエンタメできる人だったのねえ。いやまあわかりにくい所を無視してそれでいいの? というのはもちろんあるんだけれど、そこは結構演出上すっ飛ばしてOKみたいな描き方もされていた気がするのでそれはそれで良し。

実のところ、第1話を見て絵柄のその微妙なヘタウマ感に「これ大丈夫か?」と思ったけれども、最後まで観るとそれもちゃんとコントロールされたものだったのだなあというのがわかって良かった。ジェットジャガーをあのように用いようとすると、逆算で、キャラクターデザインもそれが可能な世界観にしなきゃならないわけだよなあ。そういう伏線の張り方なんかも含めて、1クールできちんとパッケージングされる作品作りの強みみたいな感じで、うーんこれもNetflixがお金を出したおかげなのかしら、という感じがすごくする。ゴジラもちゃんとスゴイものとして描かれていたしねえ。

Netflixは過去に失敗もなくはないけれども、やっぱりきちんとお金が行くべき所に行った作品をアニメで見るのは、大変心地良いなあと思いました。

ギレルモ・デル・トロのピノッキオ

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ピノキオ自体が虚構性をはらんでいるというか、人間を真似た物体だけれども、たぶんこれ、その題材をストップモーションアニメという虚構性を強く感じさせる表現で表すからこそ、これほどまでに感情を揺るがすことができるんだろうなー。実写じゃこのストーリーってきっとうまく行かなかったでしょ。例えば冒頭の爆弾の落下で息子が死ぬシーンだって、実写じゃあのリアリティレベルでは語れないよねえ。あるいはラストのそれぞれの死が示されるカットも、彼らの身体の記号性が極端に強いからこそスルッと入ってくる表現になっているわけで……表現方法の属性を直接利用しているところに、うーんやっぱりギレルモ・デル・トロはすげーなーと思わされました。

しかし元々の「ピノキオ」って、遥か昔子供の頃に読んだ記憶しかないんだけれども、確かあれって別に第二次世界大戦が下敷きになってはいなかったよね。この話はムッソリーニを下敷きとした戦争の話をゴリッと入れ込んで、それがメインのストーリーラインの「死」というテーマと強力に結びついているわけだけれども、それだけで一本の話をやり切ってしまうというのは、やはり脚本の上手さだよなあ。

ディズニーのピノキオって見たことがないんだけれども、一回そっちもちゃんとふれておこっと……

THE BATMAN-ザ・バットマン-

 

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うーん、眠い……いやまあ、マジメにやっているのはわかるんだけれども、だからといってバットマンという題材が面白くなるワケじゃないよなあ。あまりに眠くて途中で止めてしまった。

色々原因はあると思うんだけど、別にバットマンを通して過去のトラウマの解消のドラマを見たいかって言われるとそうは思わないのだよなー。このキャラクターって、財力合って色んなオモチャを駆使しているけれども中身は人間、みたいなところに魅力があって、それが不相応なアクションをしちゃう無茶苦茶さが好きだったんだなーと改めて感じさせられました。

あと警察との距離感にもスゲー違和感があって、あんな風に組織に関わってたら、まあ普通に中の人が誰かって同定されないとおかしくないですか? そういうリアリティレベルが、「お前の正体を明かしてやったぞ!」というリドラーの話と圧倒的に相性が悪いというか……敵の正体やクライマックスの仕掛けも含めて、終始どうでもいいやって感じが強く、全体の緊張感を大変弱めているように思うんだよなー。

まあとにかく、この内容でこの時間は長すぎる。ノーランのも「ダークナイト」以外はそんなに好きじゃないけれども、しかし長尺の時間をもたせるだけのテンションに充ちてたんだなーというのは改めて思いました。