ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

美の構成学―バウハウスからフラクタルまで

 

美の構成学―バウハウスからフラクタルまで (中公新書)

美の構成学―バウハウスからフラクタルまで (中公新書)

 

ネットで見かけるフィボナッチ数列な絵を見るたび、はっきり「うさんくせー」「っていうかここ合ってなくね?」と疑問に思っていて、そこら辺の疑問を解消したくて読んだ。解消されなかった。数学的な構造が人間の感じる美とどのような関連を持っているかというところが説明されるのかなーと思ったのだけれども、そんなことはなかった。「この美しい作品にはこの数字が」という説明の仕方はするけれども、だからといって数学的な構造があるから美しいとは限らない、みたいなこともいっているので、あーなるほど結局美に対する感覚をまず磨かなければしょうもないって結論かあ、と。

にしても面白かったのはバウハウスが立ち上がった辺りの歴史的背景で、そもそも産業革命がそれまでの美に対する感覚が変化するきっかけだったというのは本当に目からウロコ。現代的なデザインの根っこには、単純な機能性や効率性に対する異議申し立てがあるんだなあ、と心の底から感心しました。そうだよなあ写実的な美しさへの追求が方向転換するタイミングだもんなあ。いやあ人間の感覚を大きく変えたんだよなあ産業革命。

あとどうでも良いけど端々に美に理解のない人間への容赦ない蔑視が見て取れてどーも読んでて辛いなあと思う。いやまあオレがファッションはじめ美に対しての感覚がクッソ鈍いからで、普通の人は美的感覚がない人に対してそういう「うわーコイツ鈍いわ」みたいな感覚を持っているのかもしれないし、オレだって他人に対して「うわーこいつ論理的な思考ができないヤツだわ」とか思ってるしなあ。人によってそれぞれ価値観が違うってただそれだけの話なんだけど、それをこう文字で突きつけられるとなかなか辛いものがあるなあ、という感じがしました。そしてその辛さはきちんと向き合わなきゃならないものなんだろうなあ、たぶん。