ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

ヒューゴの不思議な発明

 

まあズルい建て付けでこんな題材映画好きだった肯定してしまうやないかーい! というガード不可攻撃であり轟沈。ほんとにズルすぎるでしょコレ。スコセッシはなんだかんだゆーて作品に適した演出スタイルをとる人なんだなあ、というのが最近ようやくわかってきたので、ここまで徹底的にジュブナイル的なエンタメに徹されたらもう、心から拍手を送らずにはいられませんよコレ。

とにかく映画への思い入れが詰まりまくっていて、文学少女だの歯車と機械人形とハート型の鍵だの、イマジネーションの世界へ誘うあれやこれやがもう山盛りなワケです。でも超常現象的なことはなにひとつ起こらず、異世界への扉担保しているのが映画そのものであるというそのバランス感覚がもうたまらん。そうよなーそれが映画に薫陶を受けて映画を作り続けてきた映画監督の矜恃よなあ。映画そのものがある種のファンタジーだもんなあ。

機械と映画の間には実はちょっとした隔たりがあって、そこをどう埋めるかは難しい所だと思うんだけど、「街が機械である」「機械部品には全て意味がある」から飛躍して「街の一部である自分にも意味がある」という、その一点で物語のテーマを勝ち取ったその文芸も見事だよなあ。機械人形の部品から映写機を創る、みたいなアクロバティックなエピソードがちゃんと機能している感じ。

唯一の心残りは「なんで3Dで見なかったんだろう?」ってことくらいかなあ。メリエスなら3Dで何を撮ったんだろうなあ、とつい妄想してしまう内容でありまして。