ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

目に見える世界は幻想か?~物理学の思考法~

 

目に見える世界は幻想か??物理学の思考法? (光文社新書)

目に見える世界は幻想か??物理学の思考法? (光文社新書)

 

最初は多少の知識もあって「あーちょっとタルいかも」とか思っていたんだけれども、まあほんとそれは頭の方だけで、話が進むにつれ面白い面白い。もちろん少し理解しづらいところもあるけれども、数式を使わずにイメージで(!)理解できるように努力が為されていて大変理解しやすくなっております。今まで漠然と断片が残っていた知識の切れ端が、歴史的な試行を辿って物語になる感じ。「量子」がなぜ「量子」って名前なのかとか、いちいち考えたことなかったもんなー。そうだよなークオンティティだよなー。

しかしまあこの本の最も素晴らしいところは、歴史を辿ることで「科学的な態度とはどのようなものか」というのがなんとなく想像できるところではないだろうか。人間は生きる上で都合の良い世界像を仮置きしなければならないのだけれども、それはあくまで便宜上設けられたものにしか過ぎず、世界の細部を物理学で厳密に追い求めていくと、生活上で培われた直感とことなる世界像が新たに立ち現れる。直感と理性の間に亀裂が走るわけで、それはた例えばそれはコペルニクスの転換であったり、或いは後半大量のページが割かれた量子力学であったりするわけだ。「量子力学はそれまでの人間の直感とは相容れないもの」って記述がここまで徹底されると、それだけで爽快ですよ本当に。オレの今までの理解しづらさはまあ当然のことだったんだなあ。

「自分が理解できないものを想像する試み」というのは一見矛盾してて真面目にやったら頭がおかしくなっちゃいそうだけど、AIなんかが長足の進歩を遂げてる現代じゃ、その科学的態度というか謙虚さというかは大変大事なんだろうなあ。そしてまた、「理解できないものを想像する試み」を真剣に行うからこそ、「仮説を検証する」ことの重要さも引き立つんだろうなあ、なんて思いました。反証可能性

 科学ニュースを見ていると、あたかもパラダイム・シフトででもあるかのように研究成果が紹介されることがあるが、そうしたものはすべて通常科学の段階である。マスコミは注目を集めるために刺激的な言葉を並べ、研究者は研究成果の宣伝のために誇張した表現をする。

 だが、真のパラダイム・シフトは、すぐにはそれとわからない形でやってくることが多い。プランク量子論へつながる考え方を発見した時、プランク自身にもその本当の意味はわかっていなかった。科学の革命であるかのように派手に発表される研究成果には、一定の注意が必要だ。

いやはや、肝に銘じます。