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ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

本能寺ホテル

映画

honnoji-hotel.com

なんだこのうんこカメラワーク。趣好が演出に全く寄与してない、というかむしろストーリーの足を大きく引っ張ってる。オレは素人だがそれでも確信して言うがこれはとてつもないうんこだと思う。

いやまあ日本家屋を90度ずつのカメラで撮りたいのはまあわかるし京都という町をその延長線上で描いてしまおうという趣好もわからなくはないしその特徴的なカメラのスタイルで時を超えて同じ京都という町を描くことで両者を強引にも繋げようという意図も理解できなくはない。冒頭から鳴り響きっぱなしの超くっそ押しつけがましい音楽に辟易しながらも、まあそこにそういう趣好を読み取ることはできる。

できるんだけど、やっぱ90度で切り返すFIXカメラで切り取ることのできる心情というのはどうしても非人間的なニュアンスを帯びてしまうわけで、じゃあその特殊なカメラの中でどのような物語が語られるのか、という点にこそ注意が向けられるべきなんじゃないのか。なんなんだこの全くアイディアの足りてない画面構成は。ウェス・アンダーソンだって90度真正面のカメラを多用するけれども、構図から溢れるユーモアが奇妙な人間臭さを生み出しそれが全体の物語にも当然寄与しているわけで。こういう人間の心情の変化がクライマックスを呼び込むようなシナリオには、最高に相性が悪いんじゃないの? やるんだったらOZUでローアングルで不自然なくらいにたっぷり芝居をみせてやるべきなんじゃないの? なんでやたら引きのカメラとか挿入したがんの? 素人じゃないんだから色々考えてることはあるんだろうけどオレにはサッパリその意図が理解できん。途中に挟まれる中途半端なユーモアは心底笑えん。嫌悪感さえ抱く。

綾瀬はるかがこの難しい役を充分に掴めていた感じは全然しないのだけれど、でもまあそういう意味でいうとカメラワークの分をさっ引いて評価しなけりゃならないのだろうなあ。このカメラで独り言呟きながら90度ずつ角度を変えて京都の町を歩くのを成立させるの、普通に考えて難易度高いと思う。いやでもオープニングの京都でカート引きながら歩くところの芝居のなんとも言えない中途半端さはやっぱり役どころの理解度足りてない気もするんだよなあ。思わず読子・リードマン登場シーンを思い出してしまったよ。