ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

りゅうおうのおしごと!

 

りゅうおうのおしごと! (GA文庫)

りゅうおうのおしごと! (GA文庫)

 

どうもこんにちは。将棋警察です。

かなり勉強していて普通に読む分には全然問題ないし、例えば盤外戦術の細部とか、当事者視点からしか見えない描写がきちんと入れ込んであって、「さすが白鳥先生取材してるなあ」と感心する。いや本当に良く書けていると思う。

がだからこそポリス的には微妙な差違に突っ込みたくなってしまい、いやいやそこはまーいーじゃん矢倉という戦型をどう捉えるかはそれぞれだし、相懸かりも浮き飛車vs引き飛車の定跡は整備されてるとか超野暮な言い様だし、振り飛車と矢倉の穴熊の概念の微妙な差違を指摘できるほど棋力はねーし、とか色々自分を脳内説得する必要が出てきて、まあ普通に楽しめずに困る。序盤で強調しているネットスラングに親しむ棋士という描写も、まあ今ならきちんとその生っぽさを出さなきゃいけないのはわかるし、「いやーそのネタはあんまり棋士へのリスペクトがなさ過ぎでは?」「金玉ネタとか笑ってるの小学生だけだと思うんですけど」みたいな反感も別に人それぞれだし別に良いじゃん! みたいな?

けどさー、竜王の対局描写ははっきり失敗しているよね。素人に伝わりづらい内容を文字媒体でどうやって伝えるか、というのは音楽ものでも料理ものでもジャンルものの宿命だと思うんだけど、台詞の応酬の中一人称で素人に説明する体で進むあのやり方ははっきり悪手だと思う。弟子のラスト対局は、そこに両親を引き入れて解説者の立場だったので上手く回っただけに、うーんこれから高度な内容をどうやって表現して行ってるんだろう、と大いに疑問。『月下の棋士』を引き合いに出すのはアレだけど、「駒が光ると強い!」みたいな描写って将棋の内容から飛躍したところで説得力が生まれるわけで。ある程度将棋内容を伝えることを無視してても、表現そのものの感情移入を高めていった方が、良い結果が出るんじゃないかなあ。