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ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

新・都市論TOKYO

 

新・都市論TOKYO (集英社新書 426B)

新・都市論TOKYO (集英社新書 426B)

 

新国立競技場はどのような背景から生まれるのかを知りたくて読んだ。

 

まず思ったのは「うわーこの人たちエラそう」という無意味な反感だった。これはもう自分が前提知識がないのが悪いのだけれども、汐留の街作りを大上段から斬り伏せていて、いやいや待ってそんな突然敵を悪者認定しても俺それに同意できてないしそういう語り方は警戒するよ? ってか信頼できないよ? という謎の警戒感が働いた。読み進めれば、きちんと評価するところは評価しつつも、どのような力学でこの街が生まれたかを解説して、その上でどのような態度を取るのか、というプロセスを踏んでいて「うおーなるほど納得納得」なんだけど、ファーストインプレッションが覆るのに結構時間がかかってしまう。

コレって多分一連のオリンピック騒動に感じる専門家への不信と似た心の動きなんじゃないのかなあ。もちろんこの本は建築に興味のある人向けのものなので、ある程度の知識があることを前提に話が進められるので、そのようなアプローチが有効(だから今回の反感は自分が悪い)なんだろうけど。

あ、その意味で言うと「買い物」がやたらポジティブに書かれているのも違和感があって興味深かった。都市の再開発と真正面から戦っている人たちにとっては、経済的な効果は最も重要な要素のひとつなワケで、いかにして消費を喚起するかというのは普通にポジティブに語られるべき事案なんだろうな。でも郊外のイオンやらなんやらで育った自分にとって、丸ノ内だの六本木ヒルズだのを買い物して歩くことをポジティブに語ることって、大変困難なことなんだよね。庶民感覚ってユニクロとヨドバシとドンキで生活することなんじゃない? みたいな。まーこれは俺がスーパーインドアな性格だってことが原因なんだろうけど。

 

内容的にはメチャクチャ面白くて、成熟した社会における新陳代謝の後退を前提とした都市計画が必要だとか、プロジェクトX程度の話はそこら辺の企業にゴロゴロ転がっているが組織を超えた折衝ができない話とか、JRと私鉄のリアル・フィクションの対比であるとか、印象に残るエピソードがたくさんある。

中でもすごくインパクトがあったのは六本木ヒルズの話で、大規模な土地の払い下げではなく各地主との地道な交渉を経てあの巨大なビルが建ったという話はちょっと震える。一企業の天才社長が経済的な困難・リスクをひとまず棚に置いて、哲学・信念の下にあの巨大なビルを建ててしまった……なんていうのは全然知らなかった。困難に立ち向かい何かを成し遂げるには、経済性や妥協ではなく、強固なビジョンや信念を先行させなければならないのだよなあ……

 

いや、でもそこらへんを踏まえて考えるに、隈氏の役人に対する絶望の深さは本当に辛いんじゃなかろうか。目先の経済的な利益を乗り越えて、公共の利益を達成できるのが、公的機関の利点であるわけでしょ? 政治家・役人こそが率先してビジョンを提示すべき、というのは当然の帰結のはずなんだけど、最前線で折衝している本人の心が折れて、下からの街作りや北京やらに活路を見いだしちゃってるように読めて、なんだかとても辛い気持ちになりました。