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ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

アイアムアヒーロー


「邦画がクソ」とか「マンガの映画化やめろ」とかろくに映画も観てないのに喚くヤツは人は今すぐ映画館行って『アイアムアヒーロー』見て全力で土下座して今までの自分が高名な原作や大量の広告を利用しないと商業的に成り立たないクソ映画ばっかり掴まされてた映画アンテナの低い情弱だっただけというシンプルな事実に打ちのめされた方がいいと思う。

アイアムアヒーロー』、大傑作です。

 

特に序盤のデキが凄まじく良くて、こういうゾンビ映画は日常/非日常の切り替えをどう描くかがひとつのテーマなワケだけれども、そこをこれだけ上手く描けているゾンビ映画ってのはなかなか記憶にない。

締切前の徹夜缶詰作業でヘロヘロな場所に恋人からかかってくる電話、慌ててベランダに出て朝の澄み切った空気の中で死を予感させる声を聞き、直後頭上に軍用機が飛ぶ、っていう完璧なギアの入れ方。ともすればギャグにもなりかねないゾンビとのファーストコンタクトは周到に印象づけられたフレーム内から始まり、「人間が人間を越えた動きをすること」という大変シンプルな恐怖が枠組みを飛び越えて、というかフレームの内部に引っ張り込んで襲いかかる(トロフィーが決定的な役目を果たす映画全体に対する暗示の素晴らしいこと!!)。アシスタントという最小限の集団の人間関係からゾンビ映画のテーマを鮮やかに描きつつ、共通認識のある世界観説明はスピーディーに省略、ジャンルではありがちな展開をキャラクターの強烈な性格付けによって超衝撃的に見せるあの手管は凄まじく、日常の住宅街の光景から非日常の駅前までを長回し気味に展開させ、フレームインを連続させることで恐怖を共感させるあのいかにも映画的なシーンはとんでもなく良く機能している。部屋から住宅街を経て再びタクシー車内というスケール感の強弱を付けつつ、スピードによって緊張感を最高潮に持っていく計算された設計され尽くしたゾンビアクションに、もう感服するしかない。

いやあ、いやあ、いやあ。映画館で涙をしてしまった。こんなにアクションに強度のある映画を観たのは本当に久しぶりで、もしかしたら『特攻野郎Aチーム』とか『MI3』に匹敵するんじゃないだろうか。これがどのくらい原作をなぞったものかは知らないが、ゾンビ映画という使い古されたジャンルの中で、映像化に当たってはっきりとしたテーマを持ち各シーンを仕上げるのは、本当に湛えられるべきだと思う。高速玉突きのあの絵までの展開は、『ドーン・オブ・ザ・デッド』なんかにも全然負けてない。むしろ勝ってる。

 

ちょっと惜しいのはゾンビ子ちゃんで、いかにも死ぬべき運命にある彼女を生かして物語を転がすのは大変良いアイディアだと思うのだけれど、残念ながら主人公があそこまで思い入れを抱くだけの説得力は神社一晩じゃ生まれなかったと思う。ストーリーもあそこらへんはちょっと停滞していたんじゃないかなあ。もうちょっと上手く処理できていたらヒーロー覚醒までの流れもスムーズだった気がする。

そうそう覚醒、問題はあのロッカーシーンよ。

あの妄想連発シーン、すげえ良かったよ。ああ、このシーンのためにこの作品はあるんだなって思った。すげえ良かった。良かったんだけど、でも何より悔しいのは、映像であのシーンが描かれたことだよね。マンガで描けなかったことだよね。いや、映画化なんだから当たり前なんだけどさ。当たり前なんだけど、あのシーンは「英雄になりたかった主人公」が自分の妄想と戦うシーンで、だったらその妄想も自分が英雄になる手段だと信じていた「マンガ」で繰り返された方が絶対にいい。彼の英雄になるための手段と彼のはぐくみ続けてきた妄想とあのシーンの表現媒体とが一致するからこそ、彼はマンガ家志望の男であることに意味があるわけであり、ショットガンを撃つことで英雄たる資格を得ることができるわけで。

でもコレ、映画監督志望者を主人公にしたら解決したかっていうと、それじゃ序盤のディテールは絶対に生まれないから、しょうがないことではあるんだけどさ。あるんだけど、うーん、あそこはやっぱりマンガで見たかったなあ。

とか、ああ、なんて贅沢な悔しがり方だ!

 

とにかく映画『アイアムアヒーロー』、大傑作なのでぜひぜひぜひぜひ見た方がいいです。