ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

パシフィック・リム

怪獣は神でどっから来たかとか全然わからんし生物学上の不都合は不思議メカニズムで突破するし人間の武器なんて全然効かない。だって神に人間の科学武器が効いたらおかしいじゃん。
だから人間は神に対抗するために未知の科学や巫女や別の怪獣やなんやかんやに頼るわけで、そういう意味で人間がヒトガタたるロボットつくって怪獣とドンパチ! っていうのはまあ正しい。
でもだったら右脳と左脳がどーのこーのいかにもロジカルな説明なんてせずに「シンクロ率上昇!」的オカルティック解決をするべきで、おっさんふたりが息を合わせるとつよい! とかちょっと間抜けだし、双子とか夫婦とかからはじめたくせに「あいつは強いから一緒がいい!」とか「オレは無になる!」とかご都合以外の何物でもない理由でロボットの最も根幹設定がひっくり返されるのはマジあり得ない。まして野郎ふたりの命犠牲に敵を倒すとかアホか。神の供物となるべきは美少女だろ。いいから芦田愛菜捧げよ。核じゃなくて愛と祈りで世界を救え。

香港大破壊シークエンスが他のシーンに比べて出色の出来であるのは、やはりそこに「荒ぶる神」としての怪獣の本質がほの見えるからで、ストーリーと絡まないアクションはいくら手数が増えてもただ手数が増えるだけである。何の目的もなくただ破壊のために暴れ回る怪獣たちの、何と神々しいこと! そして彼は空に飛び上がり大気圏を突破する! 宇宙へ!

もうね、コレ、巨大エイリアン映画でいいよ。と言いたいところだけれどもエイリアンにするにはちょっとロボットの説得力が足りない。
あそこまで怪獣って言葉を使うんだったら、もう少しその本質に敬意を払ってもらわないと、オレは乗れん。例えて言うなら海外製の変なサムライ映画って感じである。