ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

ちょっと遅ればせながら、『ザ・スニーカー』の休刊について

 どこの誰に向けてか知らないけど、やっぱり、この気持ちを整理するために書くよ。

 ネットもないアニメイトもないテレ東どころかフジテレビもない、あるのはジャスコと車屋とパチンコ屋だけ、コンビニはもちろんサンクスしかないという地方都市に育ち、学校で勉強は結構出来て運動は出来なくて性格は内向的で見栄えはパッとしなくて、という俺がなんで中学1年でライトノベルにハマったかというと、えーとそれはなんでだろう? もしかしたらファミコンが1週間に1時間と時間を決められてやることが他になかったからかもしれないし、ふたつ上の兄貴分が通学路でずっとコバルト文庫を読んでいてそれが羨ましかったからかもしれないし、『中島らもの明るい悩み相談室』からちょっとエッチな一般小説を読み始めた頃だったからかもしれないし、まあ直接のきっかけを言うのなら、ひとつ上の先輩が『極道くん漫遊記』なる小説を貸してくれたからなんだろう。
 でも今になってようやくわかる。俺は俺じゃない何かになりたかった。こんなどこにでもあるようなクソ詰まらない人間であるのは嫌だった。俺は特別になりたかった。

 13歳の俺にとって、『ザ・スニーカー』という雑誌は特別な自分への入り口だった。
 「さがせ! 僕らのファンタジー!」という特集は自分の居場所を教えてくれるように思ったし、冲方丁先生・七尾あきら先生・花田一三六先生の新人作家鼎談は眩しくて目が眩んだし、もうこっちのオタク素養なんか関係無しにドカドカマニアックなネタをブチ込んでくる未来放浪記ガルディーンはもうその匂いを嗅ぐだけで卒倒しそうだったし、あかほりさとる先生の作品はエロかった。重要なのでもう一度言うがエロかった。あの節は本当にお世話になりました。
 『ザ・スニーカー』と出会って、俺は特別になれた。いやまあそれは「つもり」だけで、本当になれたのかどうかは知らないが、まあそんなのはどうでもいい。地方の自意識過剰な少年が、オタク仲間とTRPGやMTGを始めたり、「残酷な天使のテーゼ」をこっそり校内放送で流して腐女子と共に発狂したり、読書家の図書委員の女の子に初恋したり、自分で小説を書いて落ちて書いて落ちてそれでも書いてしたり、まあそういうちょっと他の人とは変わった青春を送ることが出来たのは、間違いなくあの地方都市の書店の一角で、角の折れた『ザ・スニーカー』を手に入れたからだ。

 20歳を過ぎて、俺は中身も読まず付録も開けないまま、どうしようもない惰性で『ザ・スニーカー』を買い続けていた。休刊が決まってまず第一に脳裏に浮かんだのは、情けないことに「これで間違いなくコンプリートした!」だった。正直俺は最近の涼宮ハルヒ頼みの誌面展開には本気で辟易していたし、「新作俺の嫁祭り」とかそういう企画には雑誌を破り捨ててやろうと思った。しっかりと読んでいたのはイラストコンクールくらいで、『ザ・スニーカー』の良い読者ではなかったと思う。
 それでも、今の俺を形作ったのは間違いなくこの雑誌で、あの時大塚英志先生の小説企画に名前が載らなければ、万年一次選考落ちの俺はもしかしたらその時で書くことをやめていたかもしれない。だからやっぱり、俺はお礼を言わなければならないんだと思う。

 遅れて、ごめんなさい。『ザ・スニーカー』、どうもありがとうございました。