ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

ピーチガーデン 1.キスキス・ローテーション


えー、非常に気持ち悪い小説だった。


この作品、いわゆるハーレムモノなんだけれども、物語の序盤の時点で主人公は「複数の愛情度ヒロインからアタックを受け、最終的に正しい恋人を見つけ出さなければならない」という命題を与えられる。
まあそれ自体が、ハーレムモノに隠匿されていたツボをびっくりするほど開けっぴろげに強制してくる構造になっている。
個人的に野暮だなあとは思うものの、それ自体は悪くない。明文化されるからこそ生まれる面白さというものは確かにあるだろう。

問題なのは、そこで主人公に「決断を先延ばしにすれば、ヒロイン同士は殺し合いまでいっちゃうかもよ?」という注釈をつけてしまっていることだ。この注釈が物語全体を引っ張る緊張感を生み出しており、その結果、どうしようもなく片方のヒロインを不幸にしてしまっている。


主人公はストーリーの節目節目で互い違いにキスをされるのだが、ヒロインの醸し出す肉欲に負けたり性格に思い入れを抱いたりして、どちらかひとりを選ぶことができない。
「選ばないとヒロインは殺し合うかも」なんて注釈が与えられている以上、主人公の行為は明らかにその場しのぎだ。
その結果として当然、物語は最後で彼にしっぺ返しを与えることになる。
ヒロインのうちの一人が愛情の余りヤンデレ化することで、最後の危機が導かれることになるのだが、その危機の解決の仕方が、全くもって、気持ち悪い。


この物語において、本当に主人公が成すべき行為は「ヒロインに対する態度を積極的に決めること」であり、ヒロインのヤンデレ化から導かれた物理的な危機の解決というのは、まあいわゆる対処療法にしか過ぎない。

だが物語は、あたかも危機の回避が目的であったかのように焦点をずらし、主人公のトラウマ乗り越え必殺「本気出すと強いんだぜ!」で物理的な危機が回避される。
主人公がヒロインに対してなんの態度も決めないまま、クライマックスが演出されてしまうのだ!

最終的にヤンデレ化したヒロインはうやむやのうちに(本当に、「うやむやのうちに」!)日常に回収され、さらに新たな3人目のヒロインを加えてハーレムな日常が繰り返されるのである。


物語の骨格からして、最初の「殺し合い」という注釈があり、なおかつヒロインをヤンデレ化させた以上、彼らがなんの代償も無しにハーレムな日常に回帰するのは不自然だ。

物語が為すべき一番大切な部分をうっちゃってでも、商業的に魅力のある(?)ハーレムな日常に回帰するこの作品の結末は、物語の骨格や、ヤンデレ化してまでクライマックスを導いたヒロインを、軽んじすぎているように感じられた。


いやまあ、それをシリーズ全体の駆動力にしようとしてるのはわかるけどさ。
作品の根幹に主人公の内的な成長が命題であることが明示されている以上、物理的な困難を解決させることでカタルシスを得させようっていうのは、どう考えても無理筋だと思うなあ。


以下雑感
・恋愛が物語の構成上強制されているのだが、主人公の立て方がきちんとしていて、プロセス自体にはそれほど違和感がなかった。
・流石に兄は引く。それが狙いだろうけど引く。
・とにかく卯の登場シーンである。登場シーンである。登場シーンなのである。あのシーンだけで24時間戦えます。