ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

ラノベ部

ラノベ部 (MF文庫J)

ラノベ部 (MF文庫J)

単純に「らき☆すた」の影響だと思うんだけど、萌え四コマのテイストをライトノベルに移植しようとしているんだろうと思える作品は最近増えてきて、でも自分には、その試みが成功していると感じた作品がなかった。
生徒会の一存』なんかも間違いなくその路線を狙っているのだけれども、やっぱり自分は首を傾げざるをえなかった。それがアニメ化までしちゃってるのだから、たぶん、自分の読み方には根本的な欠陥があるのだろう。まあ、そうなのだろう。
けど、でも、やっぱり、どうしても、技術的に「マンガ」「アニメ」のフォーマットを「小説」に移行する工夫が足りないように感じられて、嫌だった。


この『ラノベ部』は、恐らくかなり意図的に、そのあたりの工夫を行っている。萌え四コマの自己言及的な技術論なんかは当然として、わかりやすすぎるくらいわかりやすいキャラ設定だったり、親しみやすく取っつきやすい会話内容だったり、序盤に太文字を利用することで台詞と発言者のリンクをはかったり、章タイトルにSD絵がついたり、なるべく短めに区切られた章だったり。
単なる読みやすさへの努力を超えて、萌え四コマという表現の移植が試みられており、それはある程度きちんと効果が発揮されていると思う。

だがそれでも「マンガ」や「アニメ」の持つキャラクターに太刀打ちできているように思えなかったのもまた、事実だ。現在、この小説のキャラクターは良くある定型をなぞるだけで、それ以上の愛着を抱かせるまでには到っていないように感じる。
単純に「Aが『萌えー』と言った」と描写する小説と、「萌えー」と言っているAの表情を描くマンガ/アニメでは、間違いなく後者の方が親しみやすさを与えるわけで、小説はジャンルの格差を超えるだけの技術を使わなければならない。

撲殺天使ドクロちゃん』くらいのインパクトがないと、表現の差が生み出す格差は超えられないんじゃないのかなあ、と何となく思った。


以下雑感。
・この小説で最も巧みだなあと思ったのは、「ライトノベルを読んでいる自分たち」の正当化だ。ライトノベルを理解できない人間を仮想敵として批判し、相対的にライトノベルを読む自分たちを正当化するその手管は、その善悪はともかくとして読者層には上手く効果を発揮するのではないかと思う。
・ヒロインの立ち位置から、もしかしたら最終的にこの作品が「成長しない学園ユートピア」に対するカウンターを目論んでいるのではないか、なんて思ったりもする。「巻を重ねること」と「物語としての完成度」の対立関係から目を背けては、恐らく、良い作品は生まれない。
・解決策の一つとして、「成長」と「停滞」を同時に満たす「新陳代謝のあるサークル」を主体とする方法もとれるのかもしれない。だから小説のタイトルが『ラノベ部』なのだ……なんていうのは明らかに先走り過ぎか。