ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

フミコの告白

この作品を見たとき、自分はまず「ものすごくチャーミングな作品だなあ」と思った。と同時に、「なんか後半の盛り上がりが足りないなあ」という印象も受けた。
という話を周囲にしたら変な顔をされた。
でも自分が受けた第一印象を偽ってもどうしようもないので、それじゃあなんで自分がそんな印象を受けたか? っていうのを考えてみる。

まず、この作品が「チャーミング」であると感じた理由なんだけれども、それはたぶんストーリーに負うところがとても大きいんじゃないかなあ、と思った。だって女の子がふられてショックで走り出したらそれがどんどんエスカレートして空まで飛んじゃうなんて面白いじゃない?
ということを一緒に見た人に話したら「いやでもストーリーなくない? ラストで告白し直す意味わかんないし」「っていうか動きを描きたいだけなんじゃない?」と返答されてしまうのだった。
なるほどなあ。
考えてみれば確かに変なストーリーだ。だって「最初に一回告白に失敗してる女の子が、走って空を飛んで墜落してもう一回告白してやっぱりふられる」とか、全然意味がわかんない。
「動きを描きたいだけなんじゃない?」っていうのも確かにうなずける。自分はアニメにも全然詳しくないし絵心もない素人だけど、でもこのアニメが普通と違った方法で極端なキャラクターの動かし方をしていて、その過剰な感じが作品の核になっているのはわかる。創作の動機の根っこには、たぶんこういう画を先に見せたいって欲求があったんじゃないかなあ、とか勝手な想像を働かせたりもする。

でも、待てよ?
動きを描きたいなら、運動会でもいいじゃないか。もっと迫力のある走りを見せたいなら、オリンピックとか世界陸上とかでいいじゃないか。
でも、この作品は題材として「女の子の失恋」を選んだ。
それって実は、凄く重要なことなんじゃないか?

もしかして、この作品の「動き」って、単体では極端にパースがついただけの「走り」に過ぎないんじゃないのか?
そこに「女の子が失恋のショックを受けている」っていう、見方によっては陳腐にも思えるような「ストーリー」がくっつくからこそ、彼女の走りがあれだけの迫力を持つように感じられるんじゃないか?
「動き」に「ストーリー」が合わさることで、単なる足し算以上の効果が発揮されてるんじゃないか?
で、そのプラスアルファを生み出させる作用が、「演出」ってやつなんじゃないのか?


で、もう一回、アニメの「動き」と「ストーリー」の相互作用、という観点から全体を見直してみた。

まず最初に、女の子がふられる。「ふられてしまった、どうしようどうしよう」という女の子の感情がまず先にあり、それを補うかのように、女の子がちょっと極端なくらいのペースで走り出す。つまり、感情(ストーリー)が走り(動き)に先行している。
ところがだんだん、その走りがエスカレートしていく。躓き、飛びはね、ビュンビュン通り過ぎる町並みの真ん中を走り抜ける。
そのとき女の子は、驚きながらもまだ「どうしよう、どうしよう」という失恋のショックのただ中にある。走り抜ける彼女の「動き」は、この時点ではまだ、女の子の失恋という「ストーリー」を極端に表現したものに思える。

けど、少女はそのあと、空を飛ぶ。

空まで飛んじゃうと、流石にちょっとこれはやり過ぎだ。いくら悲しくても少女は空を飛ばない。それがまあ、常識的な「ストーリー」だろう。
でも「動き」の方は、「それくらいのことやんなきゃダメでしょ」って主張して、少女を空に羽ばたかせる。坂を駆け下って行くにつれて、どんどんエスカレートしていってるんだから、もっと盛り上げなきゃならない! だったら空くらい飛ばしてしまえ!
当然少女はびっくりする。失恋のショックどころじゃない。だって空飛んでるんだよ? 自分が制御しきれない状況に置かれていることに、まあ我に返って困惑するのである。「なんじゃこりゃあ!」と思うのである。「私どこまでエスカレートしちゃうの!」とか思ってしまうのである。

たぶん、少女が空に浮遊したあの瞬間、「ストーリー」と「動き」の役割が逆転したんじゃないかなあ。
少女の意図を離れてエスカレートしていく「動き」そのものが、少女の心情という「ストーリー」を牽引するようになったのだ、とか。

さあ、それじゃあさらに勢いを増しテンションを上げるこのお話が行き着く先は!?
というところで現れるのが、最初に告白した少年。
あー、そうだよね。凄い勢いで町を走ったり、ビュンビュン空を飛んだりもしたけれども、やっぱり彼女にとっての最高到達点は「男の子への告白」なんだ。


たぶんストーリー単体では、さっきふられたばかりの女の子が再び告白するなんて展開は、全然説得力がないだろう。
でもこの作品は、アニメの「動き」で「ストーリー」を牽引することによって、ストーリー単体では表現できなかっただろう、なんだかわけのわからない再アタックテンションを実現させてしまった。最初の告白の失敗なんて吹っ飛ぶくらいの、とんでもない着地点へと女の子を導いてしまったのである!

だから、再び女の子が男の子に告白しても、変じゃない!

いやまあ変は変なんだけどね、でもなんか、納得してしまう自分がいるのだ。
で、それが、もしかしたら、演出の力なのかもしれない、とか思う。


というような解釈を付け加えて知り合いに説明したら、「なんか理屈っぽすぎね?」と言われてしょんぼりしてしまう。
そりゃそうだけどさあ。
でも、自分はそういうことを無意識のうちにできるような才能はないから、いちいちこういう理屈を確認していって、改善点をあげながら、よりよいものをつくれるように努力していくしかないかなあ、と思うのです。もしかしたら見当違いかもしれないなあと用心しながら。理屈だけが先行するのはとりあえず避けなきゃなあ、なんて思いながら。


さて、その自分の理屈っぽい解釈の結果、「なんか後半の盛り上がりが足りないなあ」という最初の印象も、なんとなく理由が見えた気がするのだった。
さっきはああやって書いたけど、やっぱり後半の「動き」の面白みが足りない気がするんだよなあ。ストーリーがエスカレートするにつれ、舞台も地上から空へと飛翔するのだから、そのとき観客が受ける驚きもそれに合わせて強化されるべきなわけで。
ビュンビュン電線を飛ばしてはいるんだけど、残念ながら前半の狭い路地を走り抜けるときの迫力には勝てないように感じられて。高圧電線とかギャンンギャンあれ以上に張り巡らせたところで、さらに強い驚きを引き出せるかどうか……
もしかしたら「空に浮遊した」ことで驚きを質的に変化させた方が良かったのかなあ、とも思うのだった。


という話を知人にしたら「でも制作者はそういう意図で創ったんじゃないと思うんだよねえ」と言われてしまった。
なんじゃそりゃあ。