ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

ぷっしゅ!

 

ぷっしゅ!(1) (富士見ファンタジア文庫)

ぷっしゅ!(1) (富士見ファンタジア文庫)

 

 


エンターテインメントはその本質を極力隠そうとする。
コンピューターRPGの本質は、「大きな障害(ボス)を倒すために小さな障害(雑魚)を倒し自分のレベルを上げる」ことにある。小さな障害の積み重ねが、 大きな障害を倒す担保になるわけだ。だがしかし、RPGを「カタルシスのための装置ですよ」なんて言うクリエイターはいない。むしろその本質を隠匿するた めに、物語やらゲームシステムやらに様々な工夫を凝らす。
恋愛シミュレーションゲームならばさらにわかりやすい。恋愛シミュレーションはそのジャンルからして、ヒロインと結ばれることが保証されている。しかしゲームのプレイヤーは、プレイ中にその保証をできる限り忘れたいと望むに違いない。「どうせヒロインと結ばれるんだけどね」という本音は別として、「この恋愛は果たして 成就するのだろうか?」という建前こそが、プレイヤーをエンターテインメントに没入させるのだ。

さて、この作品はずばり「ヒロインを恥ずかしがらせたい」という動機が本質であるのだが、それを実現するまでのプロセスを追ってみると以下のようになる。

「1.強大な敵がやってくる」
 ↓
「2.ヒロインが恥ずかしがると覚醒して敵に対抗できる」
 ↓
「3.恥ずかしがらせるしかない!」


絶対おかしい。なぜ、恥ずかしがることが強大な敵へと対抗しうる力を発揮することに直結するのか。「2」は明らかにストーリーの枠組みを外れた、「作者の都合」を想起させずにはいられない。通常の物語において、作者の都合が見える構造は「ご都合主義」と非難される。
物語の枠組み内での説得力を持たせるために、せめて2番を分解し、

「1.強大な敵がやってくる」
 ↓
「2.ヒロインが強い感情を抱くと覚醒して敵に対抗できる」
 ↓
「3.ところでヒロインはものすごい恥ずかしがり屋だ」
 ↓
「4.恥ずかしがらせるしかない!」


といったあくまでも物語の枠内での説明を行うべきだ。
創造主に「こつこつレベルあげてカタルシス得たいんでしょ?」「ヒロインと結ばれたいんでしょ?」「恥ずかしがる彼女が見たいんでしょ?」と直接聞かれて嬉しい受け手がいるだろうか?

いやまあそれを除いても傷が多すぎる作品だとは思うんだけど。
脳挫傷を負わせようとかいうヒロインの言動は明らかにギャグとして処理できる範囲を超えており彼女に好感を抱きようがないだろうとか。
見た目の問題からして白虎とコンビを組ませるべきは力強さの象徴ではなく儚さの象徴であるべきだろうとか。
「ヒロインを恥ずかしがらせたい」という動機が作品の本質なら行き当たりばったりの変身ではなくもっとヒロインが恥ずかしがるシチュエーションにこだわりを持つべきだろうとか。