ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

図書迷宮

 

図書迷宮 (MF文庫J)

図書迷宮 (MF文庫J)

 

メタメタしいことをメタメタメターっとやってその志自体は買うんだけどそもそもコレ全体的に話がどうでも良いよね。コレって「作者/読者(主人公)」の話をやっているとか作中では明言されてるけれども、作品内で語られてる「読者(主人公)」と作品を読んでいるオレら現実世界の読者の距離が圧倒的に遠すぎる。まあこれは俺が感情移入を安易に求めてしまうタイプの読者で悪い癖だなーとは思うんだけど、思うんだけど、やっぱりメタを扱う作品においては、作者と読者(オレら)の間にどれだけメタ的な構造を超えた共感を持てるか、というのが大変重要だと思ってしまうのだ。ぶっちゃけこの話だってラストに「…というお話でした」をつければ安易に無限後退していけるわけじゃないですか。で、作中でその可能性が示唆されている以上、それ以上後退しない保証のない物語の支点が必要だと思うんですよ。でで、たぶんこの作品はヒロインとの絆にその責を負わせようとしたんだと思うけど、うーん、はっきり言って彼女あんまり魅力的じゃないよね。そもそも主人公の行動原理を「命を救ってくれたから」という「恩義」に還元してしまうのはあまりに良くない。それって自分のために何か利のある行為をしたからそれに対して利を返すってロジックでしょ? でも人を好きになるってそういう動機じゃなくて、なんの利もなくても彼女のために行動したいと思える何かが必要なわけで、その点を読者に納得させるようなヒロインの行動が作中にあったかと言われれば、うーん、ないんじゃないかなあ。類型のヒロインがいかにもな動機付けを持った主人公によってありがちな感動的ストーリーの枠組みにそって雰囲気で彼女を救わなきゃ! しているように見えてしまった、というのが正直な所。

永久に美しく…

 

永久に美しく… (吹替版)

永久に美しく… (吹替版)

 

な、なんだこの悪い冗談は……いやまあアイディアとしては判らんでもないのだけれどもこんなしょーもないネタで一本映画作っちゃう? マジで? いやー、正気を疑うわコレ。っていうかそもそも女優の老いってワリとシリアスなテーマをこういう方向で自虐的に題材にするの、確かにブラックユーモアといえばブラックユーモアなんだけど別に笑えないよなあ。ハリウッド女優の美に対するコダワリとかがわかってればもーちょっと理解できたのだろうか、とか思って調べたらえーまじでゴールディ・ホーンこのとき47歳!? うそやろ!? いやー、それ知ってたら見え方全然違ってたわ。マジかよ……そして俺見てるときには全然気づかなかったけどブルース・ウィリスなのか。マジか。如何に自分が人の顔を覚えていないかって話だなこりゃ。

まーしかしそこら辺のキャスティングが生み出す妙とかをほっぽって中身だけ見ると大変な話だよねこれ。いきなりの時間飛ばしは最高にイカレてるし精神病棟の書き方はえーマジであれでいいの? ってなるしセットのつくりは妙に安っぽいし中盤の話はメチャクチャたるいしどんでん返しはどんでん返しになってないしブルース・ウィリスに感情移入するつくりでもないのに追いかけっこやられても微妙だし。エルビスは来るぞ来るぞーと思ったらホントに来て笑ってしまったけど。

まあ下敷きのバックグラウンド含めて女優のキャットファイトを堪能する映画なのだろうなあ……

大人は判ってくれない

 

大人は判ってくれない/あこがれ Blu-ray

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ヌーベルバーグとか全然理解していないしトリュフォーの作品も初めて。でもトリュフォーは知ってる! あれでしょ! 『ヒッチコック映画術』書いた人でしょ! ヒッチコックは好きなのであの本は持っているのだった。

うーむーなんだろう。状況としては少年の置かれた決して恵まれてない毎日があって、まあメンタルで結構過酷で色々やっちゃうのもしょうがないよなーと思わされるくらいで、だから特にストーリーには驚きとか展開とかあるわけではなくて、ただ人生を追っていくだけ、みたいな感じであり、うーんこれは面白いんだけどなんか言語化しづれーなー。ただ全体の中でどんな意味づけがあるとかは抜きにひとつひとつのエピソードは大変印象的で、ぐるぐる回るの楽しそーだなーとかバルザック祭壇すげーなーとかタイプライターを子供が持つと重そうだなーとか走るドリーショットはやっぱそれだけで感動的だよなーとか。思い出すと印象的なシーンは山ほどあって、それは判ってもらえない少年の視点を映画のカメラが見事に掬い上げてるからなのかしらねえ、と言う気はする。

そしてラストはあそこで終わるのか。散々焦らした海とストップモーション。

打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?

 

打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか? [DVD]

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アニメじゃなくて実写の方。岩井俊二も代表作的なものは大体見てるけど肝心のコレが抜けていたので。

調べたら元々テレビ放送だったのね。それが後付けで映画扱いにされたりされなかったりと。いやまあ、映像としてはやっぱり「テレビだよねー」とは思うんだけど、それって逆にこの作品が後のドラマに与えた影響が大きかったってことなのかしら。色調いじって雰囲気良く見せるとこーなるんだけどそれでもフィルムとは違うよなーと思うのは、アレか、世に言う「ダイナミックレンジ」なのか(←最近覚えたので使いたがっている)。とはいえレイアウトとかはすげーちゃんとしてるなあと思わされるシーン満載で、ドラマ内でも決定的な瞬間である「ヒロイン去ってから母親登場」のカットをフレームの出し入れでやっちゃうのとか拍手喝采でございますね。

そしてヒロイン奥菜恵かー。あんま思い入れはないしそんな芝居を注意して見た記憶はないけどさー、うーん、やべーなー。いやこのヤバさは岩井俊二のヤバさか。プールサイドでだらーん足みたいな少年マインド満載のカットを良く撮れるわ。いやー、堪能しました。

ホーリー・マウンテン

 

ホーリー・マウンテン HDリマスター版 [Blu-ray]

ホーリー・マウンテン HDリマスター版 [Blu-ray]

 

で、立て続けに『ホーリー・マウンテン』なんだけど、あ、こっちの方がまだ全然楽しい。純粋な画の力だけでとんでもないことが起こっているのが大変よくわかる。ジャケットのOPの編集だけでももうおしっこちびりそう。大量のキリスト像の複製は物理敵に大変衝撃的だし、塔のレインボーをひたひたと歩くドリーも映像だけで引きつけられる。『エル・トポ』より全然ビジュアルイメージが洗練されているよなあ。

しかしまあ相変わらずストーリーは全然よくわからん。というかこの作品がヒットしたとか、どんだけクスリまみれだったんだ当時は。当時の世相やら宗教的バックグラウンドやらがサイケデリックな視点と相まってなんか誘発するものがあったんだろうなー。俺にはさーっぱりわからんわ。

相変わらず俺がハリウッドの重鎮だったらコレに金は出せないでしょう。このノリで次作は10時間のSF大作です! コンテも全部あります! とかいわれても、「なにこの詐欺師」と思ってしまうに違いない。

エル・トポ

 

エル・トポ HDリマスター版 [Blu-ray]

エル・トポ HDリマスター版 [Blu-ray]

 

観ていて何より思うのは、こういう作品を積極的に読みに行くだけの胆力がない、楽しみ方ができない作品は、いったいどーすりゃいいんだろうなーというところ。そりゃまあ大前提として万人に楽しめる作品なんてなくて、どれだけ完璧な作品でも見る人間によっては楽しめないのはわかる。俺だって楽しめない映画はたくさんある。けどさー、その時も「あーこの作品を楽しんでいる人はここら辺を評価してるんだなー」というのはなんとなく知っていたいわけですよ。でまあ、世の中的にもこの作品を楽しめる人が多数いるはずで、でもその楽しみ方をエミュレーションする回路がこれっぽっちも存在しないのには、うーん大変つらいよなあ。

とにかく映像を見ていてもなにを楽しめば良いのかサッパリわからない。抽象的な筋書きで暗喩を楽しむだけだったら筋書きを読み取ればよろしい。かといって映像から何かを読み解くほど文化的なバックグラウンドとか教養とかを持っていない。うううううううううううううううううううううん、俺がもしハリウッドの重鎮だったら金は出せないなあ。ザ・カルトって感じ。

ホドロフスキーのDUNE

 

ホドロフスキーのDUNE [Blu-ray]

ホドロフスキーのDUNE [Blu-ray]

 

『デューン砂の惑星』っていわゆる駄作として名前は聞いたことあるわけですよ。デヴィッド・リンチだってなんだかんだ観てるわけですしね。ただまあ、そんな駄作駄作いわれている作品を積極的に見に行くかと言われると観ないし、かといって原作の小説も触れる機会なかったしで、どんな作品化はサッパリ知らなかったワケです。

でまあ、ほとんどまっさらな状態で『ホドロフスキーのDUNE』を見に行ったんですが、あー、これはすげー。っていうかもうスタッフの段階でお腹いっぱいでしょこれ。メビウスがコンテ描いてるってもうその時点で大勝利なのに、そこにギーガやってきてピンク・フロイドがいてダリがいてオーソン・ウェルズがいてミック・ジャガーがいるわけでしょ? もう意味不明。なんなのこれ? 仲間集めのパートだけでもう映画できるじゃんマジで! あの分厚いコンテ本マジで欲しすぎるだろ……

そこら辺の上昇パートを経て映画は後半の「なぜ作品が作られなかったか」という所にさしかかるわけですが、うん、そりゃさすがにしょーがないよなー。ハリウッドの作品作りを批判しているけれども、ハリウッド以外で希望する映画が作れないんだったら、それは映画システムそのものの限界を露呈しているだけだよなあ。作家主義を貫く『プレイタイム』確かにすげー作品だと思ったけど、でもあの作品作りが許容されるのは奇跡で、アレがシステムで排出できないことを責めるのは微妙な感じがすげーする。

しかしなあ、このコンテ、今のCGならワリと現実的に作品化できるんじゃねーかなー、とか思ってたらドゥニ・ヴィルヌーヴが「デューン 砂の惑星」のリメイクですか。いやはやそれは期待してしまいますね……