ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

ストレッチ&ボビート: 人生を変えるラジオ

  

Stretch & Bobbito: Radio That Changed Lives [DVD] [Import]

Stretch & Bobbito: Radio That Changed Lives [DVD] [Import]

 

リンクはインポートなので日本語あるかわからん。

https://www.netflix.com/Title/80082677 Netflixで視聴。

ヒップホップとかオレあんまり聞いてないけどちらほら見知った名前が出ていて、たぶんこれリアルタイムで追っかけていた人にとってはメチャクチャ面白いんだろうなあ。序盤の人間紹介は「オレはアイツをリスペクトしている」みたいなのが続いて「あーこれはもしかして前提の知識がないと楽しめないヤツか……?」って焦ったけど、途中ふたりがラジオ番組を始めてからめっぽう面白い。いやまあリリックの機微がわからん日本人だからどーもというのはあるんだけれども、それをさっ引いても学生が自分の好みを電波に乗せて飛ばした途端世界が変わっていくその感覚の追体験が貴重すぎる。ムーブメントってちょっと軽薄にも聞こえる言葉だけれども、でもなあ、この感覚はムーブメントとしか表現できないよなあ。自分も割とFMラジオは熱心に聞いていたので、こういう熱狂が起こりえる媒体であるということをまざまざと見せつけられて、もうそれだけで色々感慨深いです。

自分の拙いヒップホップ知識はちょっと聞いたクチロロとか『とんかつDJアゲ太郎』くらいしかないんだけど、あーその裏にはこういう文化が敷かれてるんだ、とかすげえ興奮する。あと、急速に商業化されてそれと同時にストレッチがコミュニティを離れていくのもなあ、様々なジャンルで良くある光景なのだろうけど、やっぱちょっと寂しさを覚えるよね。

美の構成学―バウハウスからフラクタルまで

 

美の構成学―バウハウスからフラクタルまで (中公新書)

美の構成学―バウハウスからフラクタルまで (中公新書)

 

ネットで見かけるフィボナッチ数列な絵を見るたび、はっきり「うさんくせー」「っていうかここ合ってなくね?」と疑問に思っていて、そこら辺の疑問を解消したくて読んだ。解消されなかった。数学的な構造が人間の感じる美とどのような関連を持っているかというところが説明されるのかなーと思ったのだけれども、そんなことはなかった。「この美しい作品にはこの数字が」という説明の仕方はするけれども、だからといって数学的な構造があるから美しいとは限らない、みたいなこともいっているので、あーなるほど結局美に対する感覚をまず磨かなければしょうもないって結論かあ、と。

にしても面白かったのはバウハウスが立ち上がった辺りの歴史的背景で、そもそも産業革命がそれまでの美に対する感覚が変化するきっかけだったというのは本当に目からウロコ。現代的なデザインの根っこには、単純な機能性や効率性に対する異議申し立てがあるんだなあ、と心の底から感心しました。そうだよなあ写実的な美しさへの追求が方向転換するタイミングだもんなあ。いやあ人間の感覚を大きく変えたんだよなあ産業革命。

あとどうでも良いけど端々に美に理解のない人間への容赦ない蔑視が見て取れてどーも読んでて辛いなあと思う。いやまあオレがファッションはじめ美に対しての感覚がクッソ鈍いからで、普通の人は美的感覚がない人に対してそういう「うわーコイツ鈍いわ」みたいな感覚を持っているのかもしれないし、オレだって他人に対して「うわーこいつ論理的な思考ができないヤツだわ」とか思ってるしなあ。人によってそれぞれ価値観が違うってただそれだけの話なんだけど、それをこう文字で突きつけられるとなかなか辛いものがあるなあ、という感じがしました。そしてその辛さはきちんと向き合わなきゃならないものなんだろうなあ、たぶん。

駆込み女と駆出し男

 

駆込み女と駆出し男

駆込み女と駆出し男

 

いやー素晴らしい。これ本当に良い映画ですね。

何が素晴らしいってまずライティングというか光を効果的に使ったカメラで、序盤の背中に絵描いてるシーンでもう脱帽。蝋燭で様々な方向から伸びる影を俯瞰の回転するカメラで捉えて、しかもその真ん中に肢体をくねらせ背中に淫猥な絵を描かれる女! いきなりああいうものを見せられて「ふへぇぇぇぇぇ」と変な声が出ましたが、採光がしづらく暗闇になりがちな日本家屋に、外から差し込む光で浮かび上がる人物の横顔で完璧に参りました。それだけで「ああ満島さんありがとうございます」ってかんじですよもう。メインの舞台となる御用宿の、あの暖簾から差し込む光の美しさ! もうね、映画とはかくあるべきでございますね。

でまあ、なんといっても素晴らしいのは編集で、いやあこんだけ濃くて色々ある内容をイカニモな口上を詰め込み詰め込みやったら疲れちゃうのが当然だと思うんだけど、そこをこんだけ軽妙な編集でまとめられるなんてちょっと離れ業じみてますね。2時間半近くあるなんて全く思えない。そんな中にもキッチリ伏線を張り巡らせて、あじ売りの下りとかもうホント脱帽号泣でありますよ。いやー、うまいなあ。

近松門左衛門原作の映画でも思ったけど、オレなんだかんだこういう世話物? じゃないか、でもまあそういうの好きなんだなあ。

 

 

プロジェクトX 飛べ、バージル

 

え? 何? これって傑作じゃないの? マジで? みんなそんな評価低いの? うっそー。このなんかパクリっぽいタイトルとクッソダサいジャケットに騙されてるだけじゃなくて? ホントに? オレこの脚本、教科書に載せても良いんじゃないかって思うくらいなんだけど。

基本的に異文化、というか異なる知能とのコミュニケーションを丁寧に描いてるだけでそりゃあ好感持てるわけでありますが、そんな助走の果てにバージル奪還作戦でミラクル3連発が立て続けに巻き起こるもんで、そりゃあもう拍手喝采でございますよ。それまで丁寧に描いてきた「窓への視線」と謎の縦空間(元倉庫だから天井が高いのだろうか)をいかして天井から脱走! への試みをあんなに劇的な画で見せたかと思ったら、謎の大仰パルス発生装置にゴリアテのスーパースローモーションからの手話危機救う展開! バージルが消火器に気づいた時点でもう「うわーなんて素晴らしい脚本なんだ」って感服してたわけですが、挙げ句空への脱走劇があるわけでしょ? 序盤の酒飲みデートフライトの伏線はもちろん効いているけれども、それより何より、死ぬためにフェイクの訓練を繰り返させられていたチンパンジーが、自由を目指して自らの手で空を飛ぶなんてワンダーを見せられたら貴方、もう拍手喝采するしかございませんよ。空を飛んでこんなに感動するラストは、あー、『トイ・ストーリー』以来ではなかろーか。

いやホント、これ普通に傑作でいいと思うんですけど、ダメですかね?

僕だけがいない街

 

僕だけがいない街

僕だけがいない街

 

その声でモノローグ入れられるともうどうしても「世界遺産」。しょっちゅう意識が世界遺産に引き戻されてギュイーンってテーマ曲が流れてしまう。いや最初は慣れなかったけど時間がたつにつれてギュイーンにもだんだん慣れてくるかなーと思ったけどやっぱり慣れない、というか最近の世界遺産の音楽選択はちょっと主張が激しすぎてもう少しSony presents時代の選曲を見習って欲しいけど世界遺産の話はどうでもいい。

ということで僕街映画版ですが、まあ漫画の映画化作品にはありがちな「原作の演出力のすさまじさを再確認するデキ」でありましたね。いやまあ実写化において原作で前半を牽引したヒロイン&母親のキャラ力が発揮できなかったのはしょーがないかもしれないけど、そもそもリバイバル時のパッとしなさとかを見るに演出がちゃんと機能してないよなあ。ローキーすぎる夜の絵とかはめ込みすぎてしかもあまり冬の空に見えないあのカットとか、あとリアリティにこだわるのは良いけどおかげで全然見栄えのしない部屋のライティングとか、随所に「うーん映画だったらもうちょっと頑張れるんじゃないのかしら」と思うシーン多数。シナリオ的には二時間にまとめるべき所をまとめてあるなあという気もするけれど、この切り取り方だとどうしたって児童虐待の話になるわけで、そうするとこの漫画を引っ張ったリアリティではちょっとしんどいよなあ、とか思う。唯一手放しで良かったのは、タイトルの元になるあの文集を読むところで、ああやって音と映像と編集で見せられると、少女のポエムはやっぱり胸を打つんだなー。

あとどうでもいいけど個人的に収穫だったのはスローモーションの駒を落として通常スピードで再生すると画面がパキパキするのを確認できたこと。まあ理屈で言うとそうなんだけど、ブラーがなくなる24フレ? ってあんなにパキパキするんだね。

インテリぶる推理少女とハメたいせんせい In terrible silly show, Jawed at hermitlike SENSEI

 

インテリぶる推理少女とハメたいせんせい In terrible silly show, Jawed at hermitlike SENSEI (HJ文庫)

インテリぶる推理少女とハメたいせんせい In terrible silly show, Jawed at hermitlike SENSEI (HJ文庫)

 

小説、と言わず漫画でもなんでも、表現というのは大抵送り手と受け手があって初めて成立するわけです。送り手がいかに素晴らしい作品を創りあげたところで、それが受け手に読み取られることをしなければ意味がない(極論)。エンターテインメントもその例に漏れず、いやむしろエンターテインメントこそが、その両者の合意形成を前提として成立するジャンルですよね基本的には。

でもまあ、「悪い人は悪いよね」という話を書いたところでその作品は当たり前の事実を確認するだけなワケで、作品・物語として語られるからには、当たり前でない出来事が必要なわけです。例えば「子ども投手が野球で大人を翻弄してる!」みたいなね。「なんかスゴイ子ども」と説明してみたところで、「いやそんな子どもいるわけないじゃん」で一蹴されて送り手と受け手が交渉決裂するから、いかにも説得力のある「魔球」を編み出して合意形成を図ったりするわけです。あとほら、修行したりひみつ道具作ったりそれぞれみんな色んなテクニックを使ってます。

推理小説というのはその合意形成への挑戦の最たるもので、「ミステリ」って名が示すようにそもそも送り手と受け手に凄まじい断絶があることこそそのジャンルを支えているわけです。不可能状況、密室をいかにして成立させるかというのは、つまり送り手の作った一見「いやありえねーでしょ」っていう状況を、いかにして受け手に「あーそれだったら確かにあるかも」と思わせることができるかというチャレンジである、というような。それを成立させるために、トリックと呼ばれる奇抜なアイディアや屋敷と呼ばれる異界や名探偵と呼ばれるスーパーヒーローが要請されちゃったりするわけです。たぶん。

でもどんどんその合意形成への挑戦だけがインフレしていくのってちょっと異形だよね。だって、読者は不可能状況への合意だけを楽しむわけではなく、その合意によってどのような感情が喚起されるかという点も重視するわけだから。

 

でで、前置きが長くなったけれども、この小説は一瞬「あれ日常の謎かな」と思わせる甘い処女膜予想をぶち破り脳を強姦一発全力で犯しおいターゲットは女子中学生だけだったんじゃねーのかよおっさんもクラークよろしく犯されたぞコラあれはお互いに犯しあったんだっけまーいーや、ともかくまあ全力でぶち壊し始めるのでわーいたのしー。っていうか語り手は信頼できねーしワイダニットだし、ミステリの皮を被っているけど実は最初からそんなに普通の不可能状況を成立させる合意形成とかはどーでもよくて、んじゃあ一体この作品でオレはどれを楽しめば良いの? という所を追い求めて延々読むわけです。読む。キャラクターさえあえて曖昧にかかれ物語に利用されている現状、コロコロ転がりどうにでもなりそうな世界の中、でも確かにこの世界を下支えするルールはいくつかあって、あー、そうかそうかこれはアレだ非ユークリッド幾何学だ! とか謎の単語が脳裏に浮かんで来ちゃったりする始末。内角の和が180度を超える世界が無矛盾に成立するへーすげーでもそれってオレの生きてる世界となんの関係があるの?

そうそう、つまりこの小説のルールはいつも読んでるミステリとはちょっと違っていて、でもまあその世界なりのルールが不変なのでそれはそれでいい。それについてはオレも同意せざるを得ないすげー変な世界だけど。でもまあ、そこで同意が取れても大事なのはそっからオレがどんな感情を喚起されるかみたいなところなわけで、俺この話で何を感じれば良いの? いやまあこういうルールがあーだこーだいうことを考えるきっかけとしては大変面白かったんだけどそれはそれで置いておいて、ヒロインと主人公のキャラクターやら関係性やらにもうちょっと心揺さぶられても良かったのかなあ、なんてことは思わなくもない。正直途中からあまりに揺らぐ動機にそれぞれの行動の信念を読み取る努力がバカ臭く思えてしまってそれはオレの忍耐力の無さかもしれないけどでもなあ、もう少し興味を引っ張られると楽しく読めたのになあ、とは思いました。

 

まあでもいいや。ちょっと前の小説だけど、とにかくこういう本がラノベレーベルから出るのは大変よいと思いました。もう少し早く読めよオレ。

ザ・フライ

 

ザ・フライ [Blu-ray]

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面白い。クローネンバーグ最高。でも今更観るのかよ。

いやいや今更なのには理由があって、テレビでオヤジが見てた作品には「まーどうせ美女と爆発が10分おきにやってくるような作品でしょ? 真面目に見てもなあ……」とかいう先入観があり、人間とハエが合体してしまう話に興味を持てなかったのも致し方ないのではなかろーか。

いやでもさすがはクローネンバーグ、そんなオレの薄っぺらな予想を裏切って、物語を引っ張る引っ張る引っ張りまくる。オレはてっきり移動即ハエ人間だろうと思ってたから、焦らしに焦らすその語り口にメロメロになってしまいました。だってさあ、変貌していく人間への憐憫とか、まあベタベタで当たり前の展開だけどさ、妊娠なんてショッキングな展開も交えつつがっぷり四つで語られるとは思いもしなかったもん!

散々待たせて待たせたクライマックス、ここぞとばかりに投入されるSFXとグロクリーチャーの連発! で作品を盛り上げた後に、それでも最後の最後のドラマは「オレを殺してくれ」になるわけでしょ? いやあ、この愚直なテーマへの向き合い方は、否定できようはずがありませんってば。素晴らしい。