ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

青い花

 

青い花 コミック 全8巻完結セット (Fx COMICS)

青い花 コミック 全8巻完結セット (Fx COMICS)

 

もうねえなんていうかそのありがとうありがとうありがとう志村貴子先生ありがとうありがとうありがとうこのマンガを読み終えたボクの心にあるのは感謝ただただただただ圧倒的な感謝ありがとうありがとうありがとう貴子先生こんなに素晴らしく素晴らしく素晴らしいマンガを世の中に生み出してくれて本当にありがとう何オレ本当にこれどうすれば良いの感謝の気持ちを表すためにはタカコの養分になるためにはマジでどうすれば? 買うの? もっと本買えばいい? そうだよねKindleだとあの息を呑むように綺麗な線がジャギって「ぎゃあああああ」ってなるもんねうんわかった一回全巻揃えて引っ越しの時に処分しちゃったけどやっぱりもう一回ポチるよ!

いやまあ私↓

hishamaru.hatenablog.com

の記事にも書いたように志村先生の大ファンで、っていうかそもそもこんなアイコンだし、アニメの『青い花』のBlu-rayも持っとりますし、コミック読めばこういう気持ちになるのは必定だったような気もするんですが、いやまあしかし案の定過ぎて笑う。オレの人生史上最高傑作で、いやもうこれ以外他のマンガなくても生きて行けそうです。

いやまあその「志村ファンだったならなんで今更『青い花』なんだよ?」と言われるとまあ確かにその通りなんですが、あのー、ありませんかその「本当に好きなものって怖くて読めない」現象。オレ、本当にダメなんです。好きなものって全然読めないんです。ずっとずっととっておきたくなるんです、はい。でもまあなんというか、そういう本も色んな心の動きの拍子でひょいと読めることがあってですね、それがなんか良くわかんないけど先日のことだったわけですよはい。

 

でね。『青い花』の話。

まあとにかく自分の百合観がビミョーなのはわかってるわけですよ。野郎が雑な理解で憧れているだけでジャンルの作品の核心にはたぶん全然触れられてなくて、たぶんこれ遠くからずっと眺める恋愛感情みたいなヤツなんだろうなーとは思うわけですよ。ページの1枚捲るたびに自分の身体感覚に根ざしてるだろう絶対に超えられない距離みたいなのを悲しいくらいに感じてしまうわけです。それは性差と言うよりもたぶん個人的な資質みたいなものなんだろうけど。

でもその距離こそが自分にとっては大変魅力的なわけです。自分にはない世界の感覚に恋い焦がれるわけです。それを遠くからそっと眺めているだけで愛おしくて愛おしくて堪らないわけです。なんなんだこの世界は。たぶん綺麗とか美しいとかそういう言葉とはちょっと違って、えー、なんだろうこの感覚は、と自分に問い直したとき出てきた言葉は「貴い」。

そう、貴いんです。

志村先生が切り取ったあーちゃんとふみちゃんの3年間と少し、入学から卒業のたったふたりの物語がとてもとても貴いんです。そこには色んな人間の喜びと悲しみと迷いと愛おしさが信じられないくらいの密度でぎゅううううっと詰め込まれていて、それらはあまりにも濃密で今にも弾け飛んで拡散してしまいそうで、でもそれらの物語はやっぱりたったふたりの物語に収斂していくんです。言葉にできないたくさんのたくさんのたくいさんの感情が行き違ってぶつかり合って傷つけあってわかり合って、でも最後にはたったふたりの純粋な感情に純化されていくんです。志村先生の! あのヨロヨロしてあっち行ったりこっち行ったりふーらふらーなあの物語が! あるべき中心に向かってあるべき姿であるべき愛を紡いでいくんです!

貴い! 貴い! 貴すぎる!!

タカコさんのは「とうとい」のタカー!

っていうか真面目な話こんなにド直球を志村先生が投げ込むとは思わなかったよ……百合は志村先生にこんな物語を書かせてしまうのか……信じられない……マジで信じられない……志村先生特有のイノセント少女が理解できない愛に悩み、真剣に向き合い、そして自分の気持ちに正直な行動を貫く(ロンドンで見せたあーちゃんの涙のなんと貴さ!)……という序盤の構造に実直な物語をその巧みな筆致で描きつつ、しかし百合の因果はイノセント少女がイノセントであることを許さず、彼女はとうとう嫉妬という感情を得てしまうのであるぴぎゃあああああああああああああ!!!! ぴぎゃあああああああああああああ!!!! ぴぎゃあああああああああああああ!!!! タカコはなんて残酷なんだああああああ!!!! そして!!!! その残酷さが牙を剥くのが!!!!!!!!! 卒業後の友人の結婚式なんです!!!!!!!!! 結婚式なんですううううううううううう!!!!!!!!! 永遠となった失恋の3年間の学園生活ではなく!!!!!!!!! 結婚式!!!!!!!!! なんてひどい!!!!!! なんて恐ろしい!!!!!!!!! タカコこわい! こわいいいいいいい!!!!!!!!!

有限の時間の中に永遠を見いだそうとするその妄執が百合を生むのだとすれば、あーちゃんは永遠のイノセントを捨てて嫉妬という感情を得て「成長する」ことではじめてふみちゃんと結ばれる。それはある意味逆説的だけど、有限の存在が永遠の何かを求めるならば、それはそもそもが逆接的な行為のはずで、ああ、なんて貴いんだ。貴い。貴い。

 

コーマン帝国

 

コーマン帝国(字幕版)
 

ジョナサン・デミが亡くなったそうなので、気になってたこのドキュメンタリーを。

スコセッシも懸念してたように「ロジャー・コーマン」って時々名前は見るけれども全くリスペクトはしてなくて、正直「あーなんか予算に厳しい人ね」ってイメージしかなかった。クレジットに「ロジャー・コーマン」って出ると「あーロジャー・コーマンね」って映画への期待値が一段下がる感じ。でもねー、よくよく考えてみると今漠然と映画を観るだけの俺がそんなに名前を意識するくらいロジャー・コーマンに当たっているというのが驚きで、普通B級映画なんて時代の波に呑まれて忘れ去られるわけでしょ? 作中の映画、なんだかんだでいくつかは見てるんだもん、それってすげーことだよね。

ドライブスルーで観る映画とかスコセッシ・デニーロのデビューとかアメリカン・ニューシネマとかスター・ウォーズとか、そこら辺の映画界への知識が点でしかなかったんだけど、それがまさか「ロジャー・コーマン」って補助線を引いただけで明確に物語として理解できるようになるなんて、本作を見る前は全く想像してませんでした。ま、スコセッシは言葉が上手いからかなーり盛ってあるとは思うんだけど、それにしたって与えた影響は大きいんだろうなあ。イングマール・ベルイマンまで引っ張ってくるとは思わなかったもんなあ。そして遅ればせながらそれをきちんと評価するハリウッドの懐の深さよ。

あとはやっぱり登場人物が強い、っていうか強すぎる。そうそうたる映画監督の顔ぶれにもうそれだけで圧倒されるし、オスカー授与のタランティーノのスピーチでもうオレ我慢堪らず泣いちゃうよ。パム・グリアの紹介でもう、待ちかねちゃったもんなあ。そして何より誰よりジャック・ニコルソン。もうね、ズルいよあの人。永遠にジャック・ニコルソンの話を聞いていたい。LSD話の面白さたるや!

 

なんつーかさ、映画人が皆、どうしようもなく映画を愛しているのが画面から伝わってくるんだよなあ。そしてその愛の象徴として、ロジャー・コーマンが存在しているって感じ。いやあ、映画ってすごいなあ。憧れるなあ。

男たちの挽歌III アゲイン/明日への誓い

 

男たちの挽歌III  アゲイン/明日への誓い <日本語吹替収録版> [Blu-ray]

男たちの挽歌III アゲイン/明日への誓い <日本語吹替収録版> [Blu-ray]

 

あーもう、ダメな続編だなあコレは。Ⅱの時信じられない神業で続編作っただけあって、この内容はホントがっかりしてしまった。まー監督も代わっているからしょうがないのかなあ……

いやまあ、ツイ・ハークの映画はそんな熱心に見てたわけじゃないけど、ベトナム出身みたいだし年代的にここら辺の出来事が強烈に刷り込まれたんだろうなーってのはなんとなくわかる。そういえばワンチャイも、自分は全然そこら辺実感出来なかったけど、やっぱり中国のアイデンティティをめぐる物語だものなあ。

でも、そういう歴史的な背景とか社会的な情勢とか、そういうのを「男たちの挽歌」シリーズに無理矢理埋め込んだところで、あんまりうまく機能してないよなあコレ。過去の出来事にしたり、あとヒロインをやたらフィーチャーしてガンアクションさせてるけど、そこまで美味しい画になってるような気がしないもんなあ。というか、アレって美人に見えるんだろうか。まあ劇団ひとりが男前かというとそれはよくわからんけど。

「撃たれてもなかなか死なないキャラクター」はこのシリーズのお約束ではあるけれど、今作品のラストの引っ張り方は、感動で決着をつけるために無理矢理……って言う感じがして、うーん、終始好意的には見れない作品でした。

アダムス・ファミリー

 

ちゃんと腰を据えて観たことがなく、強烈な音楽はあるけれどもキャラで見せるだけのどうしようもない内容なんでしょ? なんて思って見始めてまあ確かにストーリーはどうしようもない。大体あいつの登場シーンで人間じゃないのが真相だって一発でわかるじゃん。ラストでひっくり返されたところでなんの驚きもないし、んじゃあそこに持っていく途中の侵入やら乗っ取りやらにすげえ面白さがあるかというとそういうわけではない。んじゃあキャラクター? いやでも最初のキャラ付けこそテンポ良くガツンとやってたけど、中盤以降のアイディアは基本的に足りず、観ていて結構ダルいよねー。

とは思いながらも全然楽しく観れたのは、いやコレマジで映像のおかげじゃないの? リアリティレベルやらライティングやら結構撮りづらい感じの作品だと思うんだけど、なんかこれメチャクチャ綺麗に映ってませんか? なんかいちいち映像に溜息が出ちゃうんですけど。どんな映像監督が……と思って調べたら、いや映像以前に監督が映像出身で、コーエン兄弟の名作メチャクチャ撮ってますやん。あーそして後にMIBとか撮るわけですねなるほど確かにOPテロップの感じが似てたもんなあ。

まあその、後はアレです、ウェンズデーです。ウェンズデーが素晴らしいのではい、彼女が動いてるだけで割と幸せです。あーウェンズデーに電気椅子されたいなあ……

目に見える世界は幻想か?~物理学の思考法~

 

目に見える世界は幻想か??物理学の思考法? (光文社新書)

目に見える世界は幻想か??物理学の思考法? (光文社新書)

 

最初は多少の知識もあって「あーちょっとタルいかも」とか思っていたんだけれども、まあほんとそれは頭の方だけで、話が進むにつれ面白い面白い。もちろん少し理解しづらいところもあるけれども、数式を使わずにイメージで(!)理解できるように努力が為されていて大変理解しやすくなっております。今まで漠然と断片が残っていた知識の切れ端が、歴史的な試行を辿って物語になる感じ。「量子」がなぜ「量子」って名前なのかとか、いちいち考えたことなかったもんなー。そうだよなークオンティティだよなー。

しかしまあこの本の最も素晴らしいところは、歴史を辿ることで「科学的な態度とはどのようなものか」というのがなんとなく想像できるところではないだろうか。人間は生きる上で都合の良い世界像を仮置きしなければならないのだけれども、それはあくまで便宜上設けられたものにしか過ぎず、世界の細部を物理学で厳密に追い求めていくと、生活上で培われた直感とことなる世界像が新たに立ち現れる。直感と理性の間に亀裂が走るわけで、それはた例えばそれはコペルニクスの転換であったり、或いは後半大量のページが割かれた量子力学であったりするわけだ。「量子力学はそれまでの人間の直感とは相容れないもの」って記述がここまで徹底されると、それだけで爽快ですよ本当に。オレの今までの理解しづらさはまあ当然のことだったんだなあ。

「自分が理解できないものを想像する試み」というのは一見矛盾してて真面目にやったら頭がおかしくなっちゃいそうだけど、AIなんかが長足の進歩を遂げてる現代じゃ、その科学的態度というか謙虚さというかは大変大事なんだろうなあ。そしてまた、「理解できないものを想像する試み」を真剣に行うからこそ、「仮説を検証する」ことの重要さも引き立つんだろうなあ、なんて思いました。反証可能性

 科学ニュースを見ていると、あたかもパラダイム・シフトででもあるかのように研究成果が紹介されることがあるが、そうしたものはすべて通常科学の段階である。マスコミは注目を集めるために刺激的な言葉を並べ、研究者は研究成果の宣伝のために誇張した表現をする。

 だが、真のパラダイム・シフトは、すぐにはそれとわからない形でやってくることが多い。プランク量子論へつながる考え方を発見した時、プランク自身にもその本当の意味はわかっていなかった。科学の革命であるかのように派手に発表される研究成果には、一定の注意が必要だ。

いやはや、肝に銘じます。

荒野の決闘

 

ヘンリー・フォンダで西部劇というとどうしても『ウエスタン』を思い出してしまうなあ。いかんいかん。

ワイアット・アープって色んな作品で名前が出て来るけど正直どんなひとだったのかよくわかってないのよね。なんかすげー保安官でOK牧場! の決闘をした人だっけ? 

だから荒くれ者のドンパチ映画なのかしら? なんて想像は観た途端に吹っ飛んでしまいました。いやー、シブい。モノクロ映画で動きも少なくむしろじっくり人間関係で見せていくんだけど、ひとつひとつの画がまあ大変カッコいいなあ。冒頭の強さを見せる省略戦闘とか、ドクとの出会いのすげー対立を焦らす感じとか、いやはやがっぷり四つで向き合う映画であります。白黒の映画ってなんだかんだで古びてて飽きる感じがすることも多いけど、『駅馬車』に続いてホント濃密な内容ですね。もうちょっとちゃんとフォード作品を観ねば。

後半一気に物語は展開するわけだけれど、容赦なく人が死んでいく感じはかなりビビる。血の繋がりがあろうとなんだろうととにかくバンバン死ぬ。ドクはまあ死に場所を求めていたタイプだったから幸せなラストなのかなあとも思うけど、残された身からすればほんと無情な結末でありました。

FINAL FANTASY XV

 

月一ペースでゲームの感想を書きたかったんだけどちょっと遅れてしまった。世の中ゼルダとかで盛り上がっている今だからこそ追っかけるFF15。というか自分今までオープンワールド的な枠組みのゲームをやったことがなく、「クエストってこういう感じかー」という新たなジャンルに触れる学びの喜びがあったの含めての感想になるんだけど。

いやー、楽しかった。口が裂けても良くできてるとは言えないし、普通ならこういう物量とクオリティを追求した歪な格好のつくりは大っ嫌いなはずなんだけれども、いやそれでもこの作品は楽しかった。っていうかそもそも前提としてこんな歪な格好のゲームが「ファイナルファンタジー」のナンバリングタイトルで世の中に出てしまうことが意味わからん。対策なんだから普通もうちょっとリスクヘッジしてアンパイとか取りに行くもんなんじゃないんですか? あんなバンバン広告打って会社の浮沈を書けたタイトルで、こんなわけのわからん評価されづらそうなものをつくっちゃっていいんですか? え? 「シェンムー」?

まあとにかく色んなどうしようもなさが染み出ていて、何よりまず真っ先に車のカスタマイズができるようになったことに驚いた。戦闘なんかろくにせずに4人で釣りをしキャンプして料理して写真を撮って、でストーリーが進んでしまうことにビビった。戦闘の面白さが全然わからないことに驚愕した。いやーすごい。マジですごい。衝動が先走って全体のバランスとか全然とられてない。ただその向こう側にビシバシマイルドヤンキー的マインドを感じてしまう辺りも本当にビリビリくる。詳細に作り込まれた街がガシガシストーリーに投げ込まれて捨てられていくのも唖然とするしかない。ストーリーは一番大事な導入の一生で映画を観てくれと言わんばかりの全力割り切りで何の価値もないことを自ら示す。すごい。すごい。すごすぎる。

生の欲望の糞デカい塊をこんな風に投げつけられたら、いやあもう感服するしかないよ。オレはその向こう側に透けて見えるどうしようもない衝動も含めて、メチャクチャ楽しかったよFF15。

でもまあ、それらの爆発して粉々になりそうな各要素を、「主人公が犠牲になる」という小学生紛いのプロットで辛うじて繋ぎ、そのラストで「やっぱ辛えわ」の一言で4人の物語に回収していくその根性は、ホントに感心させられました。いやもうこのどうしようもない作品を繋ぎ止める根源の楔だよなあ、あのシーン。